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1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:00:06.50 ID:jgrm0BGD0
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誰なのよ?
世界史板だと
ティムール、チンギスハン、バイバルス、アレクサンドロス大王、スヴォーロフ、ベリサリウス
軍事板だと
大モルトケ、グスタフ・アドルフ、牟田口、ヴァレンシュタイン、シャルンホルスト、ル・テリエ
とかがよく挙がってるけど
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2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:00:47.18 ID:fqanCEsJ0
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ヒトラー
アドルフ・ヒトラー(独: Adolf Hitler, 1889年4月20日 - 1945年4月30日)は、ドイツの政治家。オーストリア出身で1925年まではオーストリア国籍であった[2]。
国家社会主義ドイツ労働者党党首としてアーリア民族を中心に据えた民族主義と反ユダヤ主義を掲げたドイツの独裁者。1923年にミュンヘン一揆で一度投獄されるが出獄後合法的な選挙により勢力を拡大、1933年に首相となり、1934年にヒンデンブルク大統領死去に伴い、国家元首となる。
首相就任後に他政党や党内外の政敵を弾圧し、指導者原理に基づく党と指導者による独裁指導体制を築いたため独裁者の典型とされる[3]。また人種主義的思想(ナチズム)に基づき、血統的に優秀なドイツ民族が世界を支配する運命を持つと主張し、強制的同一化や血統を汚すとされたユダヤ人や障害者迫害などの政策を行った。さらに民族を養うための『生存圏』が必要であるとして、領土回復とさらなる拡張を主張した。
それは軍事力による領土拡張政策につながり、1939年のポーランド侵攻によって第二次世界大戦を引き起こした。しかし連合軍の反撃を受け、包囲されたベルリン市の総統地下壕内で自殺したとされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アドルフ・ヒトラー
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5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:01:31.90 ID:W+W40D2L0
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ナポレオン
ナポレオン・ボナパルト[1](Napoléon Bonaparte、1769年8月15日 - 1821年5月5日)は、革命期フランスの軍人・政治家。ナポレオン1世(Napoléon Ier、在位:1804年 - 1814年、1815年)としてフランス第一帝政の皇帝にもなった。
フランス革命後の混乱を収拾して軍事独裁政権を樹立し、イギリスを除くヨーロッパの大半を勢力下に置いた(ナポレオン戦争)が、最終的に敗北し失脚した。当時のイギリスの首相ウィリアム・ピットは、「革命騒ぎの宝くじを最後に引き当てた男」とナポレオンを評し、一方ゲーテは「徳を求めたもののこれを見出せず、権力を掴むに至った」と評している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ナポレオン・ボナパルト
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8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:02:03.83 ID:Su4UuTSd0
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孔明
諸葛 亮(しょかつ りょう)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人。字は孔明(こうめい)。
司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯(ちゅうぶこう)。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。今も成都や南陽には諸葛亮を祀る武侯祠があり、多くの観光客が訪れている。 妻は黄夫人。子は蜀漢に仕え綿竹(成都付近)で戦死した諸葛瞻。孫には同じく蜀漢に仕え父と共に綿竹で戦死した諸葛尚や、西晋の江州刺史になった諸葛京がいる。親族として従父(叔父)の豫章太守諸葛玄、兄で呉に仕えた諸葛瑾とその息子の諸葛恪、弟で同じく蜀漢に仕えた諸葛均などが知られる。一族には、魏に仕えた諸葛誕などがいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/諸葛亮
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10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:02:24.98 ID:jgrm0BGD0
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ヒトラーって軍事すごいの?
なんかミュンヘン一揆と言い、東部戦線と言い、
ヒトラーが作戦に口出しした戦いは失敗続きなイメージがあるけど
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11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:03:00.00 ID:BjB56xQz0
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ハンニバルは?
ハンニバル・バルカ (Hannibal Barca, 紀元前247年 - 紀元前183年/紀元前182年) は、カルタゴの将軍。ハミルカル・バルカの長子。ハンニバルは「バアルの恵み」や「慈悲深きバアル」、「バアルは我が主」を意味すると考えられ、バルカとは「雷光」という意味である。
第二次ポエニ戦争を開始した人物とされており、カルタゴが滅びた後もローマ史上最大の敵として後世まで語り伝えられていた。2000年以上経た現在でも彼の戦術は研究対象として各国の軍隊組織から参考にされるなど戦術家としての評価は非常に高い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンニバル
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15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:04:35.55 ID:jgrm0BGD0
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>>11
なんでハンニバルって世界史板とかで評価低いの?
最後に負けたから?
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18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:06:09.53 ID:+ETO0zdO0
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>>15
像さんがかわいそうだから
行動力はすごいと思うがザマの戦がざまぁな結果に終わったからな…
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13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:03:41.79 ID:O7ck/Ctn0
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曹操
曹 操(そう そう、永寿元年(155年) - 建安25年1月23日(220年3月15日)は、中国後漢末の武将、政治家。詩人、兵法家としても業績を残した。字は孟徳(もうとく)、幼名は阿瞞また吉利。沛国譙県(現在の安徽省亳州市。また河南省永城市という説もある)の人。
後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。廟号は太祖、謚号は武皇帝。後世では魏の武帝、魏武とも呼ばれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/曹操
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14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:03:42.73 ID:ssH00qJa0
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黒田官兵衛
黒田 孝高 / 黒田 如水(くろだ よしたか / くろだ じょすい)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。豊前国中津城主。孝高は諱で通称の「官兵衛」や出家後の「如水」の号で有名。豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。竹中重治(半兵衛)と双璧をなす秀吉の参謀であり、後世に「両兵衛」「二兵衛」と称された。キリシタン大名でもあった。子に黒田長政がいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/黒田孝高
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16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:05:59.85 ID:jgrm0BGD0
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あと世界史板だと騎馬民族系の指導者の評価がやたら高いのはなんで?
ティムールとかアッティラとかチンギスハンとかバイバルスとか
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19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:06:15.38 ID:BzWy3wxhO
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ヒトラーは歴史の先生曰くそれほど指揮は上手くなかったそうな
演説が上手かっただけじゃないか
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24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:08:30.36 ID:MimKUc6yO
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徳川家康(三方原はNO)
徳川 家康(とくがわ いえやす) / 松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。
本姓は、先に藤原氏、次いで源氏を称した。家系は、三河国の国人土豪・松平氏。1567年2月18日(永禄9年12月29日)に勅許を得て、徳川氏に改姓。通称は次郎三郎。幼名は竹千代。
http://ja.wikipedia.org/wiki/徳川家康
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30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:12:11.65 ID:sd2eOhnL0
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>>24
家康は殆どの場合自分の勢力の方が劣勢なんだよな
もっと評価されるべき
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28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:10:59.21 ID:9u6FE5uH0
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ハンニバルは本国と共同歩調取れなかったおかげでせっかくの構想が無駄になったという印象
仲間からみても斜め上を行く行動力だから敵も多かっただろうな
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29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:11:00.93 ID:GH3jXtUkP
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ハンニバルって始め奇襲で勝った3回以外
16年間ずっと負けっぱなしじゃん
そもそも国内の意見もまとめられてないのに私兵だけでローマに喧嘩売ってボロ負け国まで滅びかけさせてる時点で軍事的センスなし
名声有りきとはいえ国に逃げ帰ってからの政治手腕は+30点くらいしてやってもいい
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32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:14:13.59 ID:jgrm0BGD0
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あと
李靖、洪武帝、霍去病もよく世界史板で出てるんだけど
東洋史全然知らない俺にもわかるように、すごさを説明してください
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33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:14:24.25 ID:+ETO0zdO0
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アッティラの凄さは分からんわwwww
全盛期のビザンツを単体で圧迫したからだろうけどそんなに評価されてるのか、世界史板見たことないから意外だ
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36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:16:48.75 ID:jgrm0BGD0
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>>33
なんか、世界史の英雄の軍事的才能をランク付けするスレとか、
名将スレだと大抵上がってる
ランク付けスレだと一番上がティムール、チンギスハン、アレクサンドロスで、
その次がベリサリウスとかバイバルスとかアル=ワリードとかスヴォーロフとかアッティラとか
大体そんな感じだった気がする
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35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:16:43.78 ID:3LJIgTxJ0
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戦争に弱いフランス人を率いてあれだけ戦ったという意味で
ナポレオンが最高
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38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:18:40.93 ID:cLRX+6IlO
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ハンニバルとアレキサンダーの2強じゃないのかアレクサンドロス3世(Ἀλέξανδρος ὁ Μέγας、Ἀλέξανδρος Γ'、ラテン文字転写:Aleksandros ho Megas、英: Alexander the Great、紀元前356年7月? - 紀元前323年6月10日、在位紀元前336年 - 紀元前323年)はアルゲアデス朝のマケドニア王、コリント同盟の盟主、エジプトのファラオを兼ねた人物である。ギリシア語ではアレクサンドロス大王であるが、この場合は英語風に読んでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とすることも多い。
ハンニバル、カエサル、ナポレオンといった古今東西、後世に名を残し、影響を与えた英雄たちから英雄視されている、英雄の中の英雄である。現在でも知名度は抜群で、アレクサンドロスの名に関する名をつける人は多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンドロス3世
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44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:21:08.97 ID:9u6FE5uH0
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マンネンハイムはお前ら的にどうなの?ドイツとの同盟で叩くやつを前見たけど、当時の状況で独立を保つには仕方ないような気もする
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46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:21:30.86 ID:St88iN490
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アレクサンドロス三世はあの時代であの領土だから桁違いの天才だよ
天才という言葉じゃ足りないくらい
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51:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:27:11.65 ID:5r5BrP9r0
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項羽は?
項 籍(こう せき、紀元前232年 - 紀元前202年)は、秦末期の楚の武将。秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼし、一時西楚の覇王(在位紀元前206年 - 紀元前202年)と号した。その後、天下を劉邦と争い(楚漢戦争)、当初は圧倒的に優勢であったが人心を得ず、次第に劣勢となって敗死した。 姓は項、名は籍、字が羽である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/項籍
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69:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:46:09.06 ID:amCH7z2QO
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>>51
たしか三万くらいでカンシンの50万を倒してたな
でも個人の武勇に偏りすぎな気がする
劉邦をぶち殺してれば天下取れたのに
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53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:32:00.73 ID:3H4bHLU10
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あら?ロシア人が一人もいないの?
焦土戦術とボロディノの消耗戦によって、無敵ナポレオンを倒したクトゥーゾフは?
外征に成功した軍人ということなら、
ナチドイツを完全に粉砕したジューコフやコーネフは?
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55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:35:44.48 ID:jgrm0BGD0
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>>53
つ「スヴォーロフ」
不敗の指揮官だそうな
アレクサンドル・ヴァシリエヴィチ・スヴォーロフ(Алекса́ндр Васи́льевич Суво́ров, ラテン: Alexandr Vasiljevich Suvorov, 1729年11月24日(ユリウス暦11月13日) - 1800年5月18日(ユリウス暦5月6日))は、ロシア帝国の軍人。ルムニク・スヴォーロフ伯。イタリア大公。ロシア帝国歴代4人目にして最後の大元帥。軍事史上でも稀な不敗の指揮官として知られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンドル・スヴォーロフ
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65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:41:10.61 ID:3H4bHLU10
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>>55
不敗でございますよ。軍隊をクビになったけど
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59:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:38:24.80 ID:jgrm0BGD0
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モンテスマってどうなの?
Civ4だと色々大人気だけど
正式名称はモクテスマ2世(Moctezuma II)。在位1502年-1520年。
アステカ帝国とは今のメキシコ中央部、北米大陸と南米大陸の接合点(中南米)に存在した一大帝国である。 特に人身御供すなわち生贄の習慣があることで知られ、これは彼らの神話の一節「太陽(神)はいずれ沈んだままになるが、新鮮な人間の心臓を捧げることでその期間を先延ばしできる」という伝承によるためである。
1519年、エルナン・コルテスらスペイン人(コンキスタドール)が中南米に上陸した際、アステカにおいてはその年に起こった天変地異からケツアルコアトル神がアステカに帰還する年とされ、そこに訪れたコルテスはケツアルコアトル神の遣いと考えられたため大いに歓待された。しかしコルテス一行は計略によりモンテスマを幽閉し、その間に帝国の有力者を逮捕したり祭礼儀式に集まった祭司を虐殺するなどして帝国の弱体化を図る。 こうした一連の事件にアステカ国民(メシーカ人)は激怒、コルテスらスペイン人に対して暴動を起こす。この際に幽閉を解かれたモンテスマは民衆を説得しようと防壁の上に上がるも、暴徒の投石が頭を直撃し、その傷がもとで翌日に息を引き取った。またはコルテスらの謀略により暗殺されたとも伝わる。
その後メシーカ人は新たな皇帝を担ぎあげ、一旦はコルテスを撃退することに成功するものの、後にコルテスらの逆襲に遭ったアステカは完全に打ち負かされ、国民は猛烈な勢いで虐殺、または奴隷にされた。折しもスペイン本国から運ばれだ病原菌(天然痘)が抵抗力を持たなかったメシーカ人の間に蔓延したため、1100万人いたとされる国民人口は虐殺が終わる頃には100万にも満たない数にまで激減し、アステカ帝国は完全に消滅した。
http://dic.nicovideo.jp/a/モンステマ
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64:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:41:10.28 ID:+ETO0zdO0
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>>59
モンちゃんは多分そんなに史料が残ってない
文明の代表として少なくとも一人は指導者を設定しなきゃいけないから使われた程度だと思う
座り牛さんや王権と同じだ
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79:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:55:27.17 ID:loCSLu680
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戦術に関しての基準は
より不利な戦闘状況でも勝つこと
敵の戦闘不能者をより多く出して味方はより少ないこと
戦闘結果に関わらず適確な機動が出来ること
戦略は
戦線の選び方
開戦や勝利条件の合理性
これらをより多く満たした人が才能があるが戦略を練られる機会はほとんどない
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81:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 17:56:52.86 ID:fuc6W5md0
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機動力の乏しい部隊で敵主力を拘束して
機動力に優れた部隊で包囲殲滅するって方法論を生み出したハンニバルさん推薦
今でも基本はこの戦術使ってんだ
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92:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 18:04:54.13 ID:amCH7z2QO
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>>81
アレク大王が考案し
ハンニバルが現代(ポエニ戦役当時)に甦らせ
スキピオ・アフリカヌスが完成させた
この戦術は現代にも通用する方法で
シュワルツコフがイラク戦争で使ったとかなんとか
この戦術を使ってカエサルに負けたポンペイウスさんの立場が無いな
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93:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 18:05:40.87 ID:RvwPHHq3i
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山本五十六は?
山本 五十六(やまもと いそろく、1884年4月4日 - 1943年4月18日)は、新潟県出身の大日本帝国海軍の軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。位階勲等は元帥海軍大将・正三位・大勲位・功一級。
ソロモン戦線で米軍の攻撃によって戦死するまで、太平洋戦争(大東亜戦争)前半の日本海軍の攻勢作戦、中でも真珠湾攻撃とミッドウェー海戦での総指揮に当たったことから、海外でも太平洋戦争の日本を代表する提督として広く知られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/山本五十六
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95:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 18:08:54.90 ID:RtDpxgRwO
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お前ら学校でそういうの習ったの?
趣味で調べてんの?
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109:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 18:25:35.92 ID:amCH7z2QO
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>>95
歴史小説を読むと自然に身に付く
ただし脚色(要は盛っている)もあるから注意
司馬遼太郎作品にはいろいろ騙された
あれはラノベ
土方単騎突撃とかずっと史実と勘違いしてたわ
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97:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 18:10:09.06 ID:jgrm0BGD0
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大スキピオの再来といわれたベリサリウスは史板で高評価なのに、
大スキピオ自体はそこまで評価されてないのはなんで?
てか世界史系の板だとメジャーな名将って評価低くない?
チンギスハンとかアレクサンドロスくらいだと思う。高評価なのは。
なんで?
プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル(羅: Publius Cornelius Scipio Africanus Major, 紀元前236年 - 紀元前183年頃)は、共和政ローマ期の軍人、政治家。元老院議員。スキピオ・アフリカヌスと称され、妻の甥で義理の孫に当たるスキピオ・アエミリアヌスと区別して大スキピオとも呼ばれる。第二次ポエニ戦争後期に活躍し、カルタゴの将軍ハンニバルをザマの戦いで破り戦争を終結させた。グラックス兄弟の外祖父にあたる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/スキピオ・アフリカヌス
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101:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 18:13:28.75 ID:loCSLu680
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戦術は使う時勢が正しくないと失敗するから
方法を知ってるよりも時機を知ってる方が強いと思うけど
この時機がいわゆる才能というか知識では補えないものってなんかで読んだ気がする
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104:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 18:15:26.87 ID:sd2eOhnL0
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小早川秀秋は後世に悪く言われただけで、武将としては及第点だったと個人的には思う
小早川 秀秋(こばやかわ ひであき)は、安土桃山時代の大名。丹波亀山城主、筑前名島城主を経て備前岡山藩主。関ヶ原の戦い以後、秀詮(読みは同じ)と改名するが、秀秋と表記されることが多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/小早川秀秋
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106:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 18:20:51.61 ID:9u6FE5uH0
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小早川秀秋は秀吉後継者地獄を生き延びただけでも評価する
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107:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 18:21:13.54 ID:2O6ZMUEb0
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親父が編成した世界ドリーム軍隊では
陸軍司令にナポレオン・ボナパルト、海軍司令にホレーショ・ネルソンという
よく考えるとシュールな人事になっている
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113:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 18:34:16.64 ID:dvoogdmU0
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ナポレオンは戦略戦術共に才能の全盛期はかなりキレてるけど、衰退後が酷すぎるのがなぁ
ヴァレンシュタインとかも好きだけど、軍事的才能という単語は似合わない印象
やっぱりアレクサンドロスかチンギスハンかな
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115:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/21(土) 18:34:33.79 ID:GH3jXtUkP
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上でも言ってるけど史実とされてる事でも鵜呑みに出来ないけどな
中国に限らずどんな歴史的資料でも虚実入り交じってて当然
例えば100万の軍勢なら国の人口兵の管理周囲の事情からそうすることは可能かそうしたと信じられる合理性はあるか一人ひとりが何が正しいのか見極めなきゃいけない
学者でも誰でも本当のことなんて誰もわからない同じ事柄でも調べる度に全く違う事書いてあるなんて日常
自分が勉強した内容と違っても相手を馬鹿だと思わず冷静に分析できるゆとりが必要
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