1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:07:34.42 ID:BNFIuGZw0
5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:10:10.41 ID:jlm8XbH50
っていえばいいんだろ?
9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:14:04.03 ID:yGMN8B1w0
躊躇いがちに妹はすごく気持ちよかったのと言った。
そうかと答えて妹の頬を優しく撫でる。
頬から手を放すと毎回決まって胸の奥がチクチクと刺されるような気分になってしまう。
越えてはいけない一線があるのは知っているし、それを越えてしまった瞬間は自分でもちゃんと自覚があった。
看過できない過ちを何回繰り返したかなんて覚えていない。
ただ、妹と二人でしていることは世間体的にも道徳的にも決して許されるべき行いではないというのは重々承知の上だった。
今までも間違った優しさと自己満足な偽善を満たすために常識から目を背けながら妹との異様な関係を続けてきた。
誰からも愛を教えてもらえなかった妹の為に。
誰からも優しさを教えてもらえなかった妹の為に。
苦しい思いさせて「ごめんな」と謝ると、「お兄ちゃんは悪くないから謝らないで」と泣きそうな声で言われた。
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:16:15.14 ID:yGMN8B1w0
「後始末はお兄ちゃんに任せていいから汚れた体を洗っておいで」
「……うん」
頭を撫でて慰めながら妹の持つ鉈を預かった。
妹は玄関から出て冷たくなった土の上に半分に裂けた鶏をそっと置くと、
家族を起こしてしまわぬように足音に気を遣いながらこそこそと廊下の奥へと消えていった。
家族として接してこないで妹の心を壊してしまった俺に壊れた妹を叱る権利なんてあるはずがない。
証拠を埋めるのに必要なシャベルを持ち出すために裏庭の物置小屋へと向かう。
壊したおもちゃの直し方なんて子供がわかるわけがない。
説教に怯える無責任な子供に残された行動は、これ以上壊れないように見守ることと壊れたことを誰にもバレないように隠すことだ。
13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:19:03.45 ID:yGMN8B1w0
朝っぱらから蝉がうるさく喚き散らす。
一度でも目覚めてしまうと自然界の気温と騒音に苛まれ、習慣付いていた二度寝の結構は諦めざるえない状況になる。
それに加えて直射日光となっている東日が、目覚めよ少年。と、言わんばかりに顔を照らす。
矛先の無い不満を抱えながら布団から起き上がる。
「……布団だったな」
数か月経ても慣れない寝具で痛ためた腰をさする。
春夏秋冬を共に過ごしたふかふかのベッドとは、現在とある事情でお別れしていた。
長年連れ添ってきた相棒であるから毎朝起床してふと思い出すたびに恋しくなってしまう。
隣ですやすやと心地良さそうな寝息を立てる妹にはおそらくそんなこだわりは存在しない。
その気になれば季節問わず布団すらも必要としなさそうだ。
14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:21:27.05 ID:yGMN8B1w0
部屋を出て食事の場となる居間に顔を見せると、祖母が台所で腕を揮っていた。
「あら、早起きさんね」
「寝坊して蝉に叩き起こされた。じいちゃんは?」
「おじいさんなら外で乾布摩擦してるわよ」
「は?」
日差しで焼き上がれる夏場に体を乾いた布で擦り上げる姿は想像上でも十分にシュールだ。
本人健康の為にしているつもりかもしれないが、俺には自ら死期を近付ける儀式にしか思えなかった。
「はい。料理が出来上がるまでつまんで待っててね」
小皿に盛られた胡瓜の浅漬けがことりとまるい食卓に置かれた。
10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:15:03.84 ID:CY7xfUhSO
15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:24:31.78 ID:yGMN8B1w0
げんふうけいさんじゃないですごめんなさい。
クリスマスのプレゼントで泣かされたのは俺だけじゃないよね。
一口大の大きさに切り分けられた胡瓜の一つをつまんで齧ると、さっぱりとした塩と水気が咥内を潤した。
並び始めた朝食とニュース番組を交互に眺めていると、
「お兄ちゃんおはよう……」
眠たげな目を袖でこしこしと擦りながら妹が寝室から出てきた。
「あら、おはよう。よく眠れた?」
台所に立つ視界外からの祖母の声に驚き、ぴくりと体を止める。
「う、うん。眠れたよ」
心配そうにちらちらと俺に視線を送るが、祖母のことだから単に朝のコミュニケーション程度にしか思っていない。
鳶に見つかった子リスのようにびくびくと震える妹を手招いて隣に座らせる。
作業する祖母の背中ばかり気にする妹の口に不意打ちで小皿から摘まみ上げた胡瓜を突っ込むと、目を丸くして振り返った。
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:26:35.92 ID:yGMN8B1w0
噛み分ける余裕を与えずに一切れ丸々押し込んだせいで頬がハムスターよろしく膨らんでいた。
「よく眠れたならよいことです。はい、お米」
少なめに盛られたお茶碗を妹に、俺には少し多めに盛られたお茶碗が出てきた。
食卓に並んだ三種のおかずを前にして、胸と頬を幸せで膨らませて目を輝かせる妹の頭からはさっきの不安なんか消え失せてしまったことだろう。
食べきれない量の白米を眺めて思案した後、茶碗を持ち上げて妹の茶碗の上に掲げてひっくり返す。
すぐ隣からひうっと小さな悲鳴が聞こえてきたが、気にすることなく適量の米を自分で盛り付ける。
目を白黒させて固まる妹の口に二つ目となる胡瓜を突っ込んで思考停止に追いやってから俺は朝食を堪能した。
19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:29:47.76 ID:yGMN8B1w0
「今日もどこかに行くのか?」
「山の中でも歩くか?」
「……」
「山だってさ」
祖父からの質問を受け流すように妹へとパスをするが、意地悪をされた報復にシカトを決め込んだらしく返事がなかったのでテキトーに答えておく。
うず高く積もられた米を律儀にも全部食べ切り、すぐにその場で不貞寝に走ったようだが何故だか生気を感じさせない。
そっか。と祖父も返すものの、朝のドラマを見ながら食事もしているので、どうせ会話を交わしたこともまともに覚えちゃいないだろう。
「山か……滑って川に落ちるなよ」
「それ一昨日も聞いた」
やっぱり覚えていなかった。
20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:32:18.85 ID:yGMN8B1w0
生き返らせるつもりで水をかければ、浴びせられたショックで天に召されそうだった。
暇潰しに庭へ出ると朝よりかは上空へ昇った太陽が早くも夏らしい猛威を揮い始めていた。
祖父が乾布摩擦ついでに水を捲いたのか、植木の青々と茂った葉は乗せた水晶で景色を反射させ、根本の地面は湿って色濃くなっていた。
「……山だな」
元気に育つ植物を見て最終決定をする。
もうちょっと木々に囲まれながら心を落ち着かせるのもいいかもしれない。
都会で産まれて都会で育ち、山とか海とかに出かける機会がなかったせいか、自然と触れ合う感覚にいい意味で慣れなかった。
「おにぃ……ちゃ……」
知らなかった生活環境の良さを再認識していると、居間から文字通り這い出てきた妹が縁側で俺を呼び力尽きた。
22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:34:24.34 ID:yGMN8B1w0
「お、おにぃうっぷ……おにいちゃん……ひどい……」
縁側の淵から上半身だけ庭に出して垂れ下がり、自ら真っ青な顔を逆さにしていたので、
訪れる惨劇を食い止めるために妹を抱えあげて膝を枕にして寝かしてやる。
「今日の散歩はお山さんだぞ」
「うん、お山さんだね」
「聞いてたのか」
「返事できなかったけど聞こえてたよ」
少しだけ顔色が好くなって真っ青なんだから、さっき返事させていればほぼ確実にマーライオンをしていた。
妹の血色が落ち着くまでの間、風で木が揺れ葉を擦り合わせる音と蝉が夏を謳歌する声に耳を傾けた。
23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:36:34.74 ID:yGMN8B1w0
「……ごめんな」
「なにが? ご飯?」
「そうだな」
他のことを謝ったのだが、脈絡にまったく関係ないので妹は気付けない。
空を眺めると引き千切られた後みたいな形状をした白い雲が風に乗っていた。
いくつも縦に重なる雲を追いかけるように流る小さな雲を見て目を細める。
全然関係ないものでも幻影が見えてしまうのは過剰に意識しているからだろうか。
「おにいちゃん」
「ど、どうした?」
25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:40:40.74 ID:yGMN8B1w0
ぷっくりと頬を膨らませながら抗議をされたので、またおでこを撫でて妹を満足させる。
ようやく気分が落ち着いたのか、んっと声を漏らして目を瞑り、きつい日差しと涼しい風のサンドイッチでお昼寝に移行した。
妹の額の上で手を往復させながら遠くの山を眺める。
ここの一帯は山に囲まれた盆地になっているので八方どこを見渡しても似たような風景しか拝めない。
三分も掛からずして膝上に頭を乗せた妹から穏やかな寝息が聞こえてきた。
横を向体を丸めて眠りこける妹に苦笑いをする。
妹との山登りが終わるまでは雲一つない晴天に恵まれ続けてほしいと柄にもなく空に願ってみると、ごろりんと妹が寝返りをうってそっぽを向いた。
それがお返事ですかお山さん。
26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:43:09.10 ID:yGMN8B1w0
「水冷たいね」
「足元掬われんなよ」
「はーい」
靴を脱いでぱしゃぱしゃと川の水と戯れる妹を岸辺の樹木にもたれかかって観察する。
登山半ばに弱音を吐いて力尽きた妹におんぶをせがまれもされたが、途中に休憩を挟むなどしてなんとか目的地の小川まで辿り着くことができた。
体育以外の運動を犠牲にして知識を蓄えることにだけ体力と集中力を費やした都会産もやしっ子は階段を見るだけで体力をごっそりと持っていかれてしまうのが辛い現実。
ここまで来るのを日課にすれば、都会に帰る頃には肉体改造を施され脳みそまで筋肉に変わってるかもしれない。
「なんかそれはやだな……」
「嘘だよ」
俺だって嫌だ。
27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:45:35.90 ID:yGMN8B1w0
もう十数回山にお世話になれば登山道に辿り着く前に妹が疲労を訴えることはなくなるだろう。
「そいやっ」
掛け声と共に裸足に蹴り上げられた水が小さな飛沫となって岸辺の乾いた草地に降り注いで濃いマーブル模様をつけた。
森の中を抜ける風が木々を揺らして自然に囲まれていることを意識させてくれる。
高く伸びた樹木が枝を広げてくれているので、どんなに風に靡かれようとも根本に座っていれば木陰から追い出される心配はない。
目を閉じて登山で疲れた体を休めると、川のせせらぎと場所を選らない蝉の自己主張に混じり、名の知らない鳥が何処かで鳴いているのが聞こえてくる。
沢山の人や物で溢れていた故郷に住んでいたときと比べると多少音に敏感になった気がするが、
祖父母の暮らす田舎で耳に入ってくる音はどれも総じて落ち着きを与えてくれているようだった。
目を開けて川の中で遊ぶ妹を見る。
28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:48:15.72 ID:yGMN8B1w0
仮に今、妹が動物を殺したときと同じ衝動に駆られてしまった場合、近場に凶器になりそうなものは無いけれど俺を手に掛けたがるのだろうか?
そんな疑問がふと頭の中をよぎる。
ハムスターから始まった妹の狂気は、現段階では鶏になっている。
回数を増やし罪を重ねるたびに、妹が持ち帰ってくる生き物は徐々に大きくなっていた。
もし狙う対象に生物に人も含まれているとしたなら、本当に越えてはいけない一線に足を踏み入れるのは遅かれ早かれ時間の問題だ。
「お兄ちゃんも一緒に水遊びしようよ」
「俺は服を濡らしたくないから」
「っそ」
つまらなさ気に返事をしてぷっくりと頬を膨らませた。
29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:50:42.16 ID:yGMN8B1w0
万が一妹に刃を突き付けられたとき、妹のために自分の身を守れるのだろうか。
腕力や脚力などの身体的な話に限れば簡単に攻勢を逆転できる自信はある。
しかし、頭のどこかでは妹に恨まれることを贖宥状とし、命を差し出して妹の気が晴れるならば贖罪にしてもいいと考える自分もいる。
もしその時がきてしまったら、たぶん俺は――
「お兄ちゃん。取れた」
「と、取れたって何が?」
妹の声で深みに嵌った思考が途切れ、声のした方に慌てて目をやる。
見て見てと小川の中央でせがまれるが、掲げられている手は両手で完全に隙間なく塞がれていてここからじゃ確かめようがない。
「取れたってお前……」
31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:52:58.27 ID:yGMN8B1w0
えへへと笑いながらばしゃばしゃと水しぶきを上げて駆け寄る妹。
両手の中に捕られた成果を早く見せようと慌てて足を動かし、
「ひゃうっ?!」
盛大な波と音を立ててドジをかました。
無邪気に遊んでいたときよりも何倍も大きい波紋は川の流れですぐにかき消されたが、弾けた大粒の飛沫がいくつか俺の顔にあたる。
服に水が染み込んでシミを作ったが、全身を濡らしたことで思考するのを放棄してぐったりと川に横たわる妹よりかマシだろう。
詰めの甘い妹を抱きかかえて陸上げして濡れた服を剥ぎ取る。
服は通気性を考慮して選別した枝に引っ掛け、下着姿になった妹は日光で焼けた岩で日干しにしてやった。
あーとかうーとか呻いているが、自業自得なので放っておく。
32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:55:20.29 ID:yGMN8B1w0
騒がしかった音が消え、川辺が一層穏やかになった。
「お兄ちゃん」
「どうした?」
「私……戻らないとダメ?」
「戻りたいか?」
「……」
「戻りたければ協力する」
「……戻りたくないって言ったら?」
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 14:57:44.99 ID:yGMN8B1w0
「……そっか」
のそのそと背後で妹が動いた。
全てを諦めて人間性を否定され続けたあの家に戻りたいのか、何も傷つけずに自分を保てていた精神状態に戻りたいのか。
戻りたいという言葉がどちらを指しているのかは俺には分からないけれど、俺は協力できる最後の瞬間まで妹に手を貸し続けると誓った。
小さく鼻をすする音が聞こえてくる。
妹を家から連れ出すことで、救えたと思っていたけれどそれは救済でもなんでもなかった。
それだけでなく、妹の心に巣食う闇は確実に俺の心も蝕んでいる。
「寒いね」
「そうだな」
34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:00:07.78 ID:yGMN8B1w0
ただ、冷え切った心が温度を忘れて凍りつくまでの延命くらいの役目は持てる。
その延長させた時間できっかけがつかめ
「くしゅん」
「ああ、寒かったのか」
35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:02:29.40 ID:yGMN8B1w0
赤くした顔の半分を布団に潜して隠す妹のおでこを優しく撫でてやると嬉しそうに目を細めた。
「寒い」と、震える妹の顔色に祖母は「一晩体を暖めて休めば治るわね」と言い切ったので、これから半日は安静にさせないといけない。
「ありがとう」
「次は川の中に飛び込むなよ」
「うん。暑いね」
「ポカリ買っておいたから好きな時に飲め。それと汗でパジャマが濡れたら億劫でも着替えること」
「はい」
妹の返事を聞き届けてから寝室を出ると祖母が台所でお粥を作っているのが見えた。
一度お釜で炊いた米をぐつぐつと煮込んで作っているようだ。
「おんぶしてきて疲れたでしょ?」
36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:05:11.66 ID:yGMN8B1w0
「そうかいそうかい。あの川で風邪を引いたなんて聞くのは何十年ぶりの話だろうね」
「何十年ぶりって……」
懐かしむような祖母の言葉に驚いた。
前例からそんなに時間を経ていたことよりも、今までに妹と同じドジをした人がいることに驚愕だ。
「そうだ。お夕飯何を食べたい?」
「なんでもいい」
「なんでもいいは困るわよ。何か考えなさいな」
献立をリクエストを催促されても料理を作った経験のない俺が考えて咄嗟に出てくるレシピなんてハンバーグや餃子くらいだ。
それを頼んでもいいのだけれど、祖母が日本料理以外を作っている姿が想像できないので黙っておく。
38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:08:05.54 ID:yGMN8B1w0
「作れそうなものねえ……冷蔵庫見てもらえる?」
野菜室を開けて目についた順で野菜の名前を読み上げる。
「れんこん、にんじん、ごぼう……煮物?」
「煮物ね」
煮物を注文されて煮える米を観察しながら祖母が鼻歌を歌い始めた。
聞いたことのないメロディーがとても時代の差を感じさせた。
何もすることがなくなり、居間でテレビを眺めようかと考えたが、
妹の睡眠の妨げになりそうだったのでそのまま縁側に抜け出て夕暮れに映える山々を拝むことにした。
茜色の空の下で茂った木々を一望し、時代の流れから取り残された田舎特有の情緒を味わう。
39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:11:18.23 ID:yGMN8B1w0
夏の風物詩の血を吸いたがる虫がとても耳障りな羽音を奏で周囲を飛び回るのは癪に障る。
綺麗な景色ではあるのが体を犠牲してまで見続けたいわけでもないので蚊に食われる前に居間に退避して網戸を閉め切り侵入を防ぐ。
「ほんっとうに暇だ」
滅多に言わない独り言が出てしまうくらいに暇だった。
畳みに寝ころがって天井を見上げる。
視界の隅に入った本棚には自分好みの書物が並んでおらず、家を出るときに参考書の一冊でも持ってくればよかったと本気で後悔する。
横になり生産性の無い無価値な時間をだらだらと過ごすのは主義じゃない。
もうぐっすりすやすや眠っているに違いない妹の寝顔を見ても生産するものはないけれど、
今できる一番有意義な暇潰しがこれ以外に思いつかなかったので結局家の中を一周しただけで再び寝室に戻ることにした。
40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:13:51.33 ID:2jrbROHM0
41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:15:29.81 ID:yGMN8B1w0
妹が飲める量を考えればわざわざ両手で持ち上げるよりも元から準備されているガラスコップを使った方が遥かに楽なはずなのに
どうしてわざわざ苦難の道を選んだのだろうか。
「行儀よくコップ使おうか」
襖を開けて窘めてやるとペットボトルの注ぎ口を加えながら頷いた。
ポカリを飲み終えてきゅぽんっと口を離し、ヤドカリのようにいそいそと布団の中に籠る。
「お腹空いたか?」
「空いた」
「お祖母ちゃんがお粥作ってたからゆっくり食べなよ」
「ふーふーしてくれる?」と甘えられたけれど、不思議な恥ずかしさがあるので断っておく。
42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:18:06.54 ID:yGMN8B1w0
「ふーふーはあるもん」
むくれて布団を頭まですっぽり被ってしまった。
頭がありそうな場所を撫でてやると、むふぅと鳴いたのですぐに和解は成立した。
「そんな頭まで潜ると暑いですよ。はい、出来立てのお粥。気を付けてね」
祖母が鍋敷きと一緒にお粥の入った鍋を持ってくると、警戒を解いた亀がのそりと首を出す。
目の前で塩の入った小瓶を何振りかした後に俺に小さめのスプーンが手渡された。
「熱いからお兄ちゃんが冷まして食べさせてあげてね」
「え?」
「ほらね」
44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:20:44.22 ID:yGMN8B1w0
布団から起きだして勝ち誇ったように胸を張る妹を祖母がクスクス笑いながら部屋を出て行った。
「都市じゃないもんね」
諦めて覚悟を決めた俺はその言葉に妙に納得して、スプーン鍋に突っ込み小盛り程度掬い上げる。
息を吹きかけてから口に運んでやるとまだお粥が熱かったのか俯いて耐えるようにぷるぷると体を震わせた。
「熱かったか?」
「そうじゃないけどたぶん熱かった」
それからも顔を赤くして震えながら食事をする妹が可笑しかったので、満足するまで付き合ってやることにする。
食事を終えた妹の口元をティッシュで拭ってやると大層嬉しそうな笑顔を向けられて悪い気はしなかった。
「お兄ちゃんありがとう」
「ちゃんと寝ろよ」
隣で寝そべり妹が眠りについたのを確認してから、俺も夕飯までと思いそっと目を閉じた。
45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:23:51.01 ID:yGMN8B1w0
「なんでこんな問題が解けないんだ!」
勢いよく投げられた教科書が妹の体に当たる。
ドサッと落ちた足元には、いくつかの小さな水たまりが出来ていた。
妹が説教をされるのは当然だ。
伴わない努力しかできないやつに同情のしようがない。
6年生にもなって因数分解ができないなんて兄として恥ずかしい。
妹は僕と同じ塾に通っていた。
正確には僕が最近まで通っていた塾だ。
いくら問題を解いても似たような設問の復習しかさせてくれなくなったので、
あまりの無意味さに僕は妹と入れ替わるようにして塾を辞めた。
46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:26:14.37 ID:yGMN8B1w0
「面汚し!」
お母さんが妹の頬を張る。
テストの点数も満足に取れないのに友達の家に遊びに行きたいなんて甘えているとしか言いようがない。
会社側が社員の仕事の達成度に応じて相応の報酬を払うのと同じだ。
怠惰ばかりの人間に誰が給料を払いたがるだろうか。
情けなくも妹は形だけで身に付いていない努力ばかりを主張して両親に前借りを要求している。
たとえ義務教育であろうとも親が通わせてくれている現状で、あまつさえ、給食費だって出してもらっているのだ。
48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:28:54.61 ID:yGMN8B1w0
牧場で堕落した日々を過ごしたシマウマがいきなりサバンナに追い出された時、身を守るためにいったい何ができるのか。
単身でライオンの群れに紛れ込み、食べないでくださいと懇願して、もし見逃してもらえるなら親だってここまで強く言わない。
弱肉強食(サバンナ)の世界で飲み込まれる側に回ったモノに勝ち目はないと知っていて危惧している親の心配に、浅はかな妹は気付けていない。
父親の怒号と母親の叱責に混じり、妹のすすり泣く声が聞こえてくる。
家族の中で間違っているのは妹だ。
ただやればいいだけの勉強から逃げ、お友達なんかに現を抜かしたせいで痛い目を見ている。
因果応報でしかない悲劇のヒロインは自分は可哀相なのだと涙を流している。
頭がどうかしているとしか思えなかった。
いつまでたっても泣き止まない声に腹が立ち、その場で立ちすくむ妹の髪を引っ張った。
49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:31:59.07 ID:yGMN8B1w0
勉強の邪魔にならないならと唯一親が折れて許したおしゃれだが、僕はそれすらも気に食わなかった。
これもただの給料の前借でしかない。
妹には存在しないはずの権利を親が与えたことに強い憤りを感じていた。
妹の甘えが許されるということは、正当な報酬を貰うために積み上げてきた僕の努力を否定するのと同義だからだ
後ろに体を引かれた妹が無様に尻もちをつく。
驚きで涙が止まっているようだけれど、痙攣した咽喉が変な声を出していた。
妹の顔の造りはいいと思う。
贔屓目抜きでもそれだけは恵まれていると認める。
ただそれだけだ。
50:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:37:45.46 ID:yGMN8B1w0
妹の襟首を掴んで強引に引き寄せる。
怯えて震える目を覗き込む。
「お前が恥ずかしい」
一言で我慢した僕は偉いと思う。
手が出てもおかしくはなかったけれど、妹のただ一つの取り柄にこれ以上傷がつくのは可哀相なので僕は我慢をしてあげた。
僕の言葉をどう捉えたかは知らないが妹は完全に泣き止み、僕の顔があった場所を眺め続けていた。
説教中に惚けるなんて度胸のある馬鹿だ。
51:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:42:09.56 ID:yGMN8B1w0
目が覚めるとあたりはすでに暗くなっていた。
寝汗で服が濡れていてとてもじゃないけれど寝覚めとしてはいい気分とは言えない。
変な夢を見たこともあり、気分転換に涼しい風を求めて縁側に出る。
だいぶ長い時間寝ていたらしく綺麗な星空の中央で満月が淡く輝いていた。
元々の気温が高いせいで夜風はぬるいものだったが、それでもないよりはマシだ。
寝室に戻って部屋の隅に積まれた衣類の中からシャツを一枚引っ張り出す。
着ていたシャツと交換した後、小腹が空いたので居間へ行くとラップのかかった夕飯が置いてあった。
ご丁寧にも二人前並んでいたので、片方は妹分だ。
52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:44:49.68 ID:yGMN8B1w0
唯一並んでない主食を盛りに茶碗片手で台所へ行くと、珍しく流し場の下の収納スペースが片方だけ開いたままになっていた。
多少神経質な祖母が気付かないわけがない。
大方小腹を空かせた祖父が何かをつまむために保存されている缶詰を漁ったまま閉じ忘れたのだろう。
いちいちしゃがむのも面倒なので扉を蹴って閉める。
ガチャガチャと中で包丁がぶつかり合う音がして、
俺は寝室に走った。
扉を開け妹が寝ていた布団を見る。
少し盛り上がっていて杞憂かと安心しかけたが、掛け布団をめくるとそこに妹の姿はなかった。
53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:48:54.45 ID:yGMN8B1w0
完走が目的ですから!
54:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:52:35.29 ID:yGMN8B1w0
油断していた。
鳴らしたことのない目覚まし時計を掴み時刻を確認すると針は零時過ぎを指していた。
いつもは三日置きくらいで家を出ていたうえに、今日は風邪だってひいていた。
二日連続で妹が動くことはないとまで考えて居たわけではないけれど、危機感を持っていなかったのは事実だった。
いつも妹が起きだすのは日付が変わる前だから、おそらくまだ周辺をうろついていると推測する。
ただ、これも習慣になっている行動を予想しただけで自信も確証もない。
常温で放置されてぬるくなった飲みかけのポカリを持ち出して玄関で靴を履く。
靴のかかとを踏み潰して外に出るが、もちろんそこに妹の姿はない。
慌てて家の正面を横切る道路に飛び出そうとして足のかかとが浮いて転びそうになったので、かがんで靴を履きなおす。
56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:56:09.72 ID:yGMN8B1w0
俺は妹を止めるためではなく成功の手助けをするのだから。
最初に犠牲になったのは我が家のハムスターだった。
妹が一目惚れして可愛いと言っていたのを覚えていた父親が日頃の成果のご褒美として誕生日に買い与えたのだ。
妹は怒られた日はいつも籠の前に行き怒られたことをとその内容を欠かさず報告していた。
失敗談を逐一聞かされるハムスターの身になってみろと思っていたのを覚えている。
そのハムスターがある日籠の中で息絶えていた。
外傷はなく見た目では判断できないので病気で死んだものだと思っていた。
その数日後に俺が誕生日祝いで買ってもらったインコが死んだ。
57:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 15:56:32.59 ID:2jrbROHM0
58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:00:43.75 ID:yGMN8B1w0
ありがとう
学校から帰ってきていつものように餌を与えようと檻を覗くと、首から上を失ったインコが血を流して横たわっていた。
両親は共働きで家に帰ってくるのは夕方以降。
もちろん親を疑うわけではないが、それでも犯人を絞るには消去法が一番確実な手段だ。
声にならない怒りを抱き、犯人がいるであろう部屋の扉を開けるとやはり妹が座り込んでいた。
怒鳴りつけようとしたところで、妹が振り返り「ごめんね」と謝った。
その表情を見て頭の中の熱が急速に冷えていった。
「もしかしたらお兄ちゃんの鳥さん殺しちゃったかも……たぶんこの鋏でね、チョキンって……」
「ほら、これ」と涙を流しながら微笑む妹が見せてきたのは工作用の小さな鋏と、手のひらで転がるペットの頭部だった。
異様な光景に気持ち悪くなってすぐさまトイレに駆け込んで胃の中のものを全部吐き出した。
60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:04:06.55 ID:yGMN8B1w0
思い出して吐き気が込みあげる。
人気のない道路を駆けずり回り、どこかにいるはずの妹を必死で探す。
まばらな街灯を頼りに足元を確認しながら転がる石を避け、とにかく動物がいそうな民家を一軒一軒見回る。
家に上り込んで誰かを襲うなんてものはまだ起こらないと思ってはいるが、それでも万が一の不安が拭い切れない。
先日二人で狙った獲物は小さい隙間から潜り込んで手に入れた出荷間近の鶏。
段々と大物に手を出していくとすれば、次に手を出すであろう生物の種類は限られてくる。
玄関先に置いてある小屋の有無を確認しながら暗い夜道を走った。
額から流れ出る汗を袖で拭いながらようやくにして見慣れた小さな背中を見つけることができたのは、家から出て数十分は過ぎた頃だった。
65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:11:18.94 ID:yGMN8B1w0
「なんでこんな問題が解けないんだ!」
パパが怒って私の教科書を投げつけてきた。
何分も前からパパが怖くて泣いていたせいで、足元には涙で水たまりが出来ていた。
私がパパに怒られるのは私が悪いから。
だってママもお兄ちゃんもパパを止めてくれない。
まだ習っていない問題を出されて答えられないでいると、みんなが不機嫌な顔になる。
なんでもできるお兄ちゃんに憧れて同じ塾に行ったけど、お兄ちゃんはつまらないと言ってすぐにやめてしまった。
66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:14:09.00 ID:yGMN8B1w0
「面汚し!」
お母さんが私の頬をたたいた。
みんなと同じことがしたかったらみんなと同じくらいにならないとダメだって。
学校がお休みの日はお勉強の日だって。
「社会に出てる人はお仕事を頑張らないとお金がもらえない」って、パパが言っていた。
頑張ってない私にお給料は渡せない。
国が決めた義務教育でもパパとママがいなければ通うことができない。
68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:16:55.05 ID:yGMN8B1w0
働いている人に感謝できないなら出て行っていい。
出ていけないなら家の規則に従え。
社会は自分の世話がまともできない人には優しくない。
パパとママは私が社会においてけぼりにされないために敢えて厳しく育ててる。
パパの怒鳴り声とママの怒り声が怖かったけど泣くのをやめようと一生懸命我慢した。
お兄ちゃんができているのに私ができないのはおかしなこと。
私だけお姫様みたいに特別扱いしちゃいけない。できないならできるまでやるのが当たり前。
頭では分かっていても目からはぽろぽろと涙が溢れてしまう。
パパとママに睨まれて泣いていると、いきなり後ろから髪の毛を引っ張られた。
67:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:15:33.25 ID:lmjpiuTt0
69:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:20:33.39 ID:yGMN8B1w0
もう少しで折り返し地点。
クラスの可愛い女の子が伸ばしていたから、私も可愛くなりたくて真似っこをした髪の毛。
鏡を見るたびにクラスの人気者になれた気がしてとても嬉しかった。
頑張れていない私がママにおねだりするのはとてもずるいことだと知っていたけれど、どうしても伸ばしてみたかった。
パパとママは何も言ってくれなけど、お兄ちゃんは興味なさそうながら可愛いって言ってくれた。
それだけしか言ってもらえなかったけど、なんでもできるお兄ちゃんに褒めてもらったのが嬉しくて一日中うきうきできた。
後ろに引かれた勢いでお尻を床に打ってしまった。
びっくりして涙は止まったけど、泣き続けたせいで咽喉がひくひくと落ち着かない。
女の子座りでお兄ちゃんを見つめると、いきなり襟を掴まれてお兄ちゃんの顔に私の顔が近付いた。
お兄ちゃんは誰の敵でも味方でもない。
だから私にひどいことをしないから味方だと思ってた。
70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:23:49.69 ID:yGMN8B1w0
「お前が恥ずかしい」
それだけ言ってお兄ちゃんはまた部屋に戻っていった。
お兄ちゃんは私の敵じゃない。
でも私のことを恥ずかしいと言った。
どうして?
お兄ちゃんに言われた言葉で頭の中がごちゃにごちゃになって、いつのまにか涙も咽喉の震えも止まっていた。
何も考えられずにただ天井だけを見ていると、またパパとママが怒り出しました。
72:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:26:36.98 ID:yGMN8B1w0
そっか……出来の悪い私はまたこれからもみんなに迷惑をかけて嫌われながら生活していくんだね…………。
ごめんなさい。
目が覚めるとお日様はとっくに沈んでいました。
汗をたっぷり吸ってびしょ濡れになったパジャマと同じくらいに顔も涙で濡れていたようです。
寝てる間に泣いていたのを知られると恥ずかしいからお兄ちゃんに見られてないといいな。
お兄ちゃんは私が可哀相だったから傍にいてくれるようになりました。
私の為ならなんでもすると約束されたけど、けれどそれが私には本当の兄妹らしい関係に思えなくてとても寂しく感じました。
濡れたままだと体が冷えてしまうのでお部屋の隅でパジャマを着替えます。
73:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:29:08.86 ID:yGMN8B1w0
隣で寝ていたお兄ちゃんに近寄りおでこを撫でるとううんと唸って寝返りをうたれました。ひどい。
居間に行くと二人分のお夕飯が置いてあったので、お茶碗を持ってお米を盛りに台所へ行きます。
冷蔵庫の中が気になったので扉を開くとやっぱり長い胡瓜が丸められ、袋の中で浸されていました。
お兄ちゃんの分も用意してあげたくて、流し場下の扉を開けて使いやすそうな包丁を選んで手に取り
犬を殺していました。
75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:32:57.11 ID:yGMN8B1w0
お兄ちゃんが部屋に帰ってきました。
上の服を着てないのは、犬と一緒にどこかに捨ててきたからです。
部屋の隅に積もられた選択済みのシャツを選んで手に取る背中に向かって、「ごめんなさい」と謝りました。
「お前は悪くない」
お兄ちゃんはそう言ってくれるけれど、私は償うべき過ちを犯しています。
悪いことをしたくなる衝動を抑えられず、ふとしたきっかけですぐに私じゃない私が起きてしまう。
苦しさと悔しさと悲しさと申し訳なさで頬を涙が伝いました。
お兄ちゃんは私を抱きしめて頭を優しく撫でてくれます。
なんでお兄ちゃんは私の味方でいてくれるの?
どうしてお兄ちゃんは私の為に悪いことをしてくれるの?
77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:35:16.88 ID:yGMN8B1w0
「絶対に自分を責めるなよ」
私の心を見透かしたようにお兄ちゃんが頭の上から声をかけてくれますが、動き始めた思考は底を目指して深く沈んでいきます。
「お前は追い込まれて追い詰められて、それでもどうにかして生きようとするために何かを傷つけてるんだ」
だから私は悪くないそうです。
でも、それは違います。
私が悪い子だから。
いけない子だからいけないことだと知っていてもこの手で罪を重ねるのです。
「妹は家族の中で誰よりも弱かったけど、誰よりも強かった。父さんや母さんや俺よりもずっと」
お兄ちゃんの優しい言葉は私の考えていることと正反対でした。
78:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:40:00.47 ID:yGMN8B1w0
「俺は妹を信じてる。だから絶対に戻してみせる」
言葉の一つ一つが私の心に突き刺さりました。
私に伝えようとしている言葉は裏返した意味でないと頭が受け入れてくれませんでした。
支えになってくれるお兄ちゃんは、もしかしたら私を貶める機会を窺っているかもしれない。
だって私にはお兄ちゃんが必要だけど、お兄ちゃんに私はいらないから。
近付けば近付くほど、頼れば頼るほどありもしない妄想が心を侵していきました。
パパとママに好かれていたお兄ちゃんがどうして落ちこぼれの私に手を貸す必要があるの?
道の分からない私の手を引いてどこに連れて行こうとしてるの?
私を助けたいと言うけれど本当はお兄ちゃんは――
80:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:42:46.37 ID:yGMN8B1w0
自分は最低だとつくづく実感しました。
いつも片時も離れずに傍に居てくれた人に対してとてもひどいことを考えていたと思います。
冷たいことしか考えられなくなってしまった汚れた私をいつでも躊躇なく抱きしめてくれるお兄ちゃんが好きだから。
他の誰よりもずっと信頼できるお兄ちゃんだから。
だからこそ裏切られた時の予防線として、やっぱり心がお兄ちゃんを遠ざけてしまうのでした。
81:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:45:01.66 ID:yGMN8B1w0
お兄ちゃんは祖父に連れられて畑仕事に行ってしまいました。
「継ぐなら体で覚えろ!」と言われ「田舎で暮らせるか!」と酷い返しをしていたけれど、その抵抗も甲斐なく半ば強制的に連行されました。
お祖母ちゃんが笑ってたから、きっとあれはお祖父ちゃんの本心じゃないでしょう。
私も笑って見てたのであの返事はお兄ちゃんの本心じゃないはずです。
お祖母ちゃんに負けていられません。
お祖父ちゃんの後を不満を言いながら付いて行くお兄ちゃんを見送った後、私は暇になったので外に出ることにしました。
一人だと迷子になるのが怖くて、村の中を流れる川付近をぶらぶらする程度にとどめます。
おばあちゃんからもらった麦藁帽子を少し持ち上げて空を眺めますと二羽のツバメが楽しそうに追いかけっこしていました。
番かな?
楽しく飛び回る姿にしばらく見とれます。
83:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:47:38.55 ID:yGMN8B1w0
「隙ありぃ!」
「ひゃうっ?!」
いきなり大声と共に腰に抱き着かれる感触があり、大空に夢中になっていた私は意図せず素っ頓狂な声を出してしまいました。
「お姉ちゃんどうしたの?」
「ど、どうしたのってどうして?」
抱き着いてきたのは小学校低学年くらいの女の子でした。
この子がお昼間際に道端をうろついているということは今日は休日なのかな。
平日休日問わずしてお兄ちゃんと気兼ねないスローライフを満喫していたので、曜日の感覚が無くなっています。
「空に何かあるのかなと思って」
84:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:50:40.69 ID:yGMN8B1w0
私は呑気に空を見上げるなんてことをしないので視界の端から端まで広がる青空を見るたびに言葉では言い表せない感動を覚えます。
けれど、ここで生まれ育った住民の方々はとうに見慣れた風景になっていそうです。
狭い空すらも見上げる必要がなかったあの頃と広い空を見上げる余裕が生まれた現在を比べると私の中で何かが変わってる気がしました。
けれどそれはただ忙しくなくなっただけでした。
「何かあったの?」
口を開けて空を仰ぐ女の子に訊ねられたので、
「鳥さんがいただけ」
「鳥さん?」
見たままを伝えます。
85:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:53:40.30 ID:yGMN8B1w0
「あ、次郎丸と肋之真」
「名前あったんだ」
「今つけた」
「……」
高齢化が進んだ地域だと幼い女の子のネーミングセンスにも影響が及ぶのを学びました。
すぐに「ろくのしん」とか出てくるようになってしまったのがとても不憫です。
「片方くらいは女の子の名前がよかったな」と言うと、
「じゃあツネ」
名前とかどうでもよくなりました。
86:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:56:08.83 ID:yGMN8B1w0
日光を反射してきらきらと綺麗に輝く川面は見惚れるものがありました。
意地悪な太陽から逃げる様に日陰に入れば、すぐに涼しい風がワンピースの胸元と裾から入ってきて熱と汗が若干引いていきます。
何回目かの休憩で木陰になっている塀に寄り掛かると、
「お姉ちゃんどこ行くの?」
「え? 案内してくれてたんじゃないの?」
ううんと首を振られました。
「あれれ?」
私もてっきり女の子に連れられているものだと思い込んでいたので、帰りのことなんて全く考えずに景色だけを堪能していました。
土地勘なんてないですよ?
87:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 16:58:30.45 ID:yGMN8B1w0
「戻る?」
「そうだね。戻ろっか」
女の子の提案に賛成して今度は素直に手を引かれて歩きます。
来た道を逆に辿っていくだけですが、いつの間にか川沿いを離れていたので多少帰り道が心配になりました。
畑や田んぼや作業小屋はどこにでもあるようですけれど、肝心の人影はありません。
人がいないのは寂しくて私を不安にさせました。
私たちが仲良く村から離れただけなのに、何故かみんなに置いてけぼりにされたような気分になってしまいます。
「あ」
「あ……」
89:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 17:03:33.19 ID:yGMN8B1w0
女の子が突然に興味を示したのはよくある路肩で咲く花でした。
きっとそこには私よりも気になるものがあったのでしょう。
女の子が発見したものは私の手を離すに値するほどの楽しいものに違いありません。
それは私がいてもいなくても変わらないということでしょうか?
通り過ぎる夏風が私の体温を下げていきます。
押さえないといけない感情がひっそりと辺りの様子を窺います。
みんなはいつもそうでした。
私が一緒にいても目新しいものを常に探して、事ある毎に私を置いてどこかに行ってしまいます。
90:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 17:06:08.76 ID:yGMN8B1w0
私といても楽しくないから。
私がいると楽しくないから。
きっとみんなはそう感じていました。
女の子は振り返ることなく綺麗な花びらをつまんで遊んでいます。
ただ咲いているだけでこうして誰かが近寄ってくる。
クラスで人気の女の子も笑顔を咲かせるだけで誰かが近付いて行きました。
私もその子に近付きたくて髪の毛をうんと伸ばしたり笑顔の練習もしてみたけれど、それでもやっぱりダメでした。
私がどんなに輪の内側を望んだところで私の居場所は決まって外側です。
91:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 17:08:30.82 ID:yGMN8B1w0
「お前が恥ずかしい」
味方だと勘違いしていたお兄ちゃんには外側が似合っていることを気付かされました。
見た夢を思い出して視界が滲みます。
女の子の後ろに歩み寄り、静かにしゃがみました。
家族だったハムスターもインコも絶える瞬間まで私を見てくれていました。
優しく撫でると私に気付き、手をかけたときから離すまで。
その間の時間だけ私がその子たちの全てになれました。
92:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 17:10:51.10 ID:yGMN8B1w0
お花から目を逸らしませんが、誰が何をしているかくらい理解しているはずです。
私は欲しいのは人気でもお花でも女の子でもありません。
ただ、誰かに私がいることを知ってほしい。
誰か見られている実感と安心感だけが欲しかったから。
私はまだ女の子の全てになれていません。
女の子が振り返るまでは、私はまだいないのです。
数回撫でてから両肩に両手を重ね、肩甲骨から首まで這わせて輪を作ります。
そこでようやく女の子があごを上げて私を仰ぎ見てくれました。
その瞬間に私は女の子の全てになれました。
93:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 17:14:32.28 ID:yGMN8B1w0
「ひゃっ?!」
びっくりして本日二度目の素っ頓狂な声を上げて尻もちをつきました。
手を絞める寸前で鼻先に天道虫の付いた花を近づけてきました。
「あれ? 黒てんてん嫌い? 赤がよかった?」
我に返ることができて、慌てて涙の溜まった目を麦わら帽子で隠しました。
何をしようとしていたかを悟られたくなくて帽子の下で涙を拭いて無理矢理笑顔を作って見せます。
「天道虫は嫌いじゃないよ。ただ驚いただけ」
94:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 17:17:12.72 ID:yGMN8B1w0
「し、しましま?」
縞模様なんて突飛な配色の天道虫は聞いたことがありません。
「パンツ」
慌てて立ち上がりお尻についた小石と砂を払います。
「ピンク白縞々」
「お家の人が心配してるから急いで帰ろうね」
「うん。手痛い」
たぶん私は女の子に助けられました。
一線を踏み越えそうになった足は、女の子に驚かされて尻もちを付いたおかげで越えることはありませんでした。
95:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 17:20:11.09 ID:yGMN8B1w0
それからは変な気の迷いも起こらずに無事に女の子を送り届けることができました。
「私もお姉ちゃんの真似っこする」
「真似?」
「可愛いから髪の毛伸ばして麦わら被る」
そのときたぶんひどい顔になっていたと思います。
喜びたいのに恥ずかしい不思議な胸の高鳴りがよく分からなくて思わず涙が零れました。
泣いている顔が見られたくなくてお別れの挨拶を忘れたまま走ってお家に帰りました。
女の子に見られていないと思っていたのに、女の子の中に私がちゃんといたようでした。
ただそれだけのことが嬉しくてこっそりお家で泣きました。
96:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 17:22:14.51 ID:yGMN8B1w0
「お腹いっぱい」
「そうだな」
縁側で胡坐をかくお兄ちゃんの隣に並んで腰をかけて、夜風を浴びながらお空を眺めます。
勇気を出してお兄ちゃんの手の甲を握ると、手のひらをひっくり返して握り返してくれた。
「きょうへんなことあった」
「変なこと?」
「へんなこと」
『変な事あった』と『変な子と会った』を掛けてみました。
どちらの意味で受け取ろうかと悩むお兄ちゃんの困った顔が見れて、私は少しだけ賢くなった気がしました。
「どんなことあったの?」
97:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 17:24:47.59 ID:yGMN8B1w0
同じ返し方をするとはさすがはお兄ちゃんでした。
「川まで行ってきました」
ちょっと悔しくて唇を尖らせます。
お昼に見てきた景色、したこと、出会った女の子のことを一通り話します。
お兄ちゃんは私が話している間、興味深そうに相槌をうちながら聞いてくれました。
「それでね。女の子殺そうとしたんだ」
相槌はありませんでしたが、何も言ってこないので話を続けます。
「女の子が道路の脇に咲いたお花を見に行ったとき私の手を離してね。とっても寂しくなったの」
足元をすっと冷たい風が通り抜けました。
98:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 17:27:08.70 ID:yGMN8B1w0
「そしたら昔のこととかが頭の中に出てきて、もっと淋しくなって」
お兄ちゃんが手をぎゅっと握ってきたので、反射的に握り返します。
私はすごく冷たくなってるから、お兄ちゃんの手で暖めてもらう必要があります。
「女の子に見られたい一心で首にてをかけたの」
お兄ちゃんは私から視線を動かさずちゃんと見てくれていました。私だけを。
「だけどその子が天道虫を顔に近付けてきたせいで驚いて失敗しちゃった」
おどける様に笑いながらべろを出してお兄ちゃんを見ると、額に額をくっつけてきた。
急に顔が近くに来たのでとても驚きました。
もし私に尻尾があったらピンと逆立っていたと思います。
100:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 17:46:41.09 ID:3ubz4nw1O
103:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 18:00:23.23 ID:yGMN8B1w0
「そっか。我慢できたんだ」
「う、うん」
「よかった」
緊張して頭の中が空っぽになりました。
真っ白になって話すことが見つからず、口から出てくるのはあーとかうーとかの呻き声だけです。
顔は真っ赤ですがまっさらになった頭にちょっとした疑問が浮かんできました。
「あのね!」
「どうした?」
突然の大声にお兄ちゃんが頭を離そうとしたので、逃がすまいと押し付けます。
「このままがいいからじっとして」
104:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 18:03:00.54 ID:yGMN8B1w0
初めて出た気迫にたじろいだお兄ちゃんですが、言う通りにしてくれました。
たぶんこんな上下関係は二度とないでしょう。
「もしだよ」
「うん」
「もし私が誰かを殺したとしたら。お兄ちゃんはどうする?」
「埋める」
「うめ……え?」
簡潔すぎる答えに私が混乱してしまいました。
「埋められちゃうの?」
105:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 18:05:29.00 ID:yGMN8B1w0
ようするにお兄ちゃんの返事は今まで通りを貫く、ということです。
「もしその誰かが俺になったら妹は殺せるか?」
「……たぶん躊躇う」
「やっぱ躊躇うか」
躊躇うだけで結末は同じです。
私は訊ね返しませんが、お兄ちゃんなら抵抗しないでしょう。
誰にも迷惑をかけず、犠牲になるのは可哀相な未成年の兄妹だけ。
一番簡単で一番綺麗な最期。
でも……
106:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 18:08:02.88 ID:yGMN8B1w0
お兄ちゃんは何も言わずにぎゅっと抱きしめてくれました。
不安な気持ちになると、すぐにお兄ちゃんは抱擁してくれます。
ひんやりとした心に暖かさが染み渡りますがいつまでもこの繰り返しをしていると私が前に進めなくなります。
お兄ちゃんのことが好きだからこそ、そろそろ手を離して歩き始めないといけないとと思いました。
107:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 18:11:07.23 ID:yGMN8B1w0
妹が殺めてきたのは動物だけだったけれど、最後のSOS信号を発したときだけは違った。
学校から帰ると珍しく妹が机に向かって勉強していた。
どこで覚えてきたのか流行のアイドルの曲を口ずさみながら問題を解く妹の後ろ姿は、インコを殺したときとはまるで別人だった。
纏っていた雰囲気に著しい差を感じたのが今とそのときの妹だけれど、そもそも妹は家でこんなにも楽しそうにしたことなんて一度もなかった。
確かに俺もこの家が楽しいとは思っていない、妹が抱えている居辛さと息苦しさはその比じゃない。
こうべを垂れて落ち込みながら机に向かっている方がとても自然だけに、ノートにシャーペンを走らせる楽しげな妹に対してとてもつない違和感があった。
「あ、お兄ちゃんおかえり」
ドアを閉める音で兄の帰宅を察した妹はとびっきりの笑顔で出迎えた。
屈託のない笑い顔だからこそ気味が悪い。
108:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 18:13:31.78 ID:yGMN8B1w0
自分の知らない妹が同じ部屋にいることで言葉だけでは表現しにくい不安定な気分になる。
最近になって分からないところを怯えながらも訊きにくるようになり、少しだけ勉強に臨む姿勢が前向きになったと感じていたが、
さすがに昨日の今日でモチベーションが上がりすぎている気がした。
親の特例が出た様子も一切ないから、何が妹をそこまで立ち直らせたか甚だ疑問だが、考えるだけ妹が未知の生物に見えてきてしまうので、
勉強机に問題集とノートを広げて頭を切り替えた。
何週もして見慣れてしまった問題に欠伸が出そうになる。
まともな気分転換にもならないので、水分補給をしたくて椅子から立ち上がると、
「おにいちゃん」
「な、なんだよ」
110:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 18:15:40.50 ID:eu9xUeSUO
111:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 18:15:54.93 ID:yGMN8B1w0
重なった紙の束を差し出されて受け取る。
「すごいよね? 頑張ったよね?」
それは中間テストで返却されてきた答案用紙だった。
なるほど。こういうことか。
問題に躓くたびに俺を頼っていたのはテストが近かったからか。
惜しくも90点にまで届いていたものはなかったけれど、赤ペンで書かれた数字は普通の家庭なら手放しで喜べるものだった。
「お父さん褒めてくれるかな?」
自分でも点数に満足しているのか、実った努力を称えられることに期待を寄せていた。
「ね? 褒めてもらえるよね?」
112:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 18:18:18.43 ID:yGMN8B1w0
俺の言葉を信じ切り、笑顔の明るみが一段増した妹に罪悪感を感じて拳を握りしめる。
褒められるわけがない。
採点ミスのまま持って帰ってきた90前半のテストで俺が罵倒されたくらいだ。
どこまでも貪欲な父親の激昂に泣きじゃくる妹の姿が目に浮かぶ。
本当は俺がここで正直に「それはない」と現実を教えてやるべきだった。
でも、それはできなかった。
だってこんなにも何かに喜ぶ妹を見たのはハムスターを飼ってもらったとき以来だったから。
だから、誰にも褒めてもらえないか代わりに俺が妹を抱き寄せて頭を撫でてやった。
「すごい頑張ったな」
113:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 18:20:46.93 ID:yGMN8B1w0
一瞬でも妹に希望の光を見せてしまったことをそのときに強く後悔した。
胸の内で笑顔を絶やさなかった妹は、その夜に布団の中で声を押し殺して泣いていた。
それから数日後のことだった。
夕飯が終わり、いつものように同じ部屋で勉強をしていると妹が父親に呼ばれた。
とても不機嫌そうな声に妹は部屋を出るからすでにびくびくと怯えきっていた。
死刑の執行を告げられた罪人のような暗い面持ちと重い足取りで部屋を出て行く妹に胸中で謝罪した。
あれから妹はまた誰とも会話をすることもなく、再び心の殻を閉ざすかのごとく自分だけの世界に浸るようになってしまっていた。
妹が臨んだ未来を俺が事前に挫かなかったからこそ招いた悲劇だった。
114:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 18:23:18.26 ID:yGMN8B1w0
じゃらじゃらと硬貨がぶつかり合う音だけが昔からの安心材料になっていた。
妹の落ちぶれる様を見ながら親を満足させて対価を貰う社会の縮図。
学校で友人同士の会話から本来の親子を学んでからは、昔に辞めた学習塾同様にこの家に対して嫌気が差し始めていた。
リビングから響く両親の大声を聞いてしばらく妹は帰ってこないだろうと予想し、姿勢を直してシャープペンシルを持ち直したときだった。
母親の絶叫に並みならぬ異常を察し、思わず椅子を蹴飛ばしてリビングへと走る。
「あれ……あ……」
そこで目にしたのは馬乗りになって母親の腹部に包丁を突き立てた妹の姿だった。
その時の判断が間違っていたかもしれないが、俺はそのときに取った行動が悪だとは思っていない。
父親を探すと、すでに電話の子機を握ってどこかの番号を押している最中だった。
122:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:00:33.71 ID:yGMN8B1w0
母親の上で呆然自失となっていた妹の腕を掴んで抱き上げ、父親の呼び声を無視して玄関を駆け抜けた。
幸か不幸かポケットには遠出できる分の「報酬」が詰まっている。
汚れてしまった服の上に俺の上着を着させて人目をごまかしながら夜道を全力で疾走し、出発間際の終電になんとか乗り込んだ。
人のいない車両の中で未だ自分の犯した過ちのショックで震える妹を抱き寄せて、これからの非現実的な生活に深く落胆した。
いつ終幕を迎えてもおかしくない逃走劇だけれど、それでも一時的にでも妹を救い出せただけましかもしれない。
短い時間でも妹が自分らしさを見つめ直せる時間があれば、きっと元気を取り戻せるかもしれない。
しばらく厄介になる予定の老夫婦に対しての言い訳を考えながら、窓の外で流れていく夜景にため息をつく。
でも、それが愚かな勘違いだったと気付いたのは、それからまた数日後のことだった。
123:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:04:19.99 ID:yGMN8B1w0
女の子を殺しかけたと打ち明けられた日から、妹が深夜に部屋を抜け出すということがなくなった。
それは本来とても喜ばしいことで妹にとってもいい傾向なのだと嬉しがるところだけれど、俺はそれに不安を感じていた。
何もないときでも俯いて拳を握って体の震えを堪えたり、時折上の空だったりもするのは衝動を無理に抑圧している反動だろう。
「お兄ちゃんぎゅー」
それよりも特に変わったのが妹が後ろから抱き着いてくるようになったことだ。
妹からは聞かされていないが、無茶を承知で衝動をこらえてるのは一目瞭然なので、俺も抱きしめるのをやめた。
今までは過ちを犯した妹を慰めるための手段として抱擁を行ってきた。
けれど、妹が発作のように噴き出る衝動と面と向かって戦うと決めたのならば、俺の抱擁は妹の決心を揺るがす悪手にしかならない。
頑張れとは言わずに優しく頭を撫でると嬉しそうに鳴いた。
「あらあら、朝から仲がいいのね」
124:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:06:47.07 ID:yGMN8B1w0
お盆から食卓におかずが移されて朝食が並んでいく。
深い器に盛られた南瓜の煮付けは、それを覆うように甘く味付けされた挽肉が掛かっていた。
妹が目を輝かせて見つめているが、それは俺の皿で妹のは隣のやつだ。
「お口の中でもさもさするんだもん……」
指摘されて視線を動かすと、あからさまにしょぼくれる。
南瓜のサイズはあまり変わらないから、おかずの良し悪しを挽肉の量で判断したのか。
皿を取り替えてやると嬉しかったのか背後から首元に回された腕の力が強まった。
「そうそう、ご飯食べ終わったらお爺さんがお話しすることがあるって呼んでいましたよ。畑のことかしらね?」
「……かもしれないな。継いでほしそうだったし」
131:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:20:17.93 ID:yGMN8B1w0
「まさか」
味噌汁を一口飲んで会話を切る。
あの頑固で風変わりな祖父が跡継ぎを望んでいるとは思えない。
長いこと匿ってもらっていたのだから、そろそろ理由を聞かせろということか。
呼び出した理由を祖母に伝えなかったのも祖父なりの配慮なのだから感謝すべきだと思っているけれど、
本心は今まで通りに何も詮索しないまま放し飼いしてほしかった。
これだけ長居をしているのだから我儘が非常識なのは重々承知だ。
「お兄ちゃん?」
強張った表情を妹が心配そうに覗き込んでくる。
心配はいらないと頭を撫でてやる。
132:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:22:48.84 ID:yGMN8B1w0
「今はどうでもいいか」
自嘲気味な解釈を忘れるために煮付けの皿を持ち上げて挽肉だけをご飯の上に乗せる。
訝しげに手元を見つめる妹の皿に南瓜だけを放り込むと、ひうっと小さな悲鳴が聞こえてきた。
特に気にすることなく朝食を口の中にかきこむ早食いで朝食を終わらせ、ショックで固まる妹の口に南瓜をふた切れ突っ込んでから祖父のいる庭に向かった。
「日が暮れてもしばらく帰ってくるな」
一言だけで要件を済ませ、祖父は再び作業小屋の中をいじくり始めた。
「それだけ?」
「だけの方がいいだろ」
134:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:25:42.14 ID:yGMN8B1w0
「祖父ちゃんは俺たちに聞きたいことはないのか?」
「んなもんわしらが知ったところで何ができるんだ。勝手にしてろ」
いつも通りの喧嘩口調で遠回しに帰れと俺を突き放す。
「誰がくる?」と訊くと「知らん」としか答えてくれないので諦めることにした。
無視して家に入ると妹が涙目になりながら懸命に口を動かしている最中だった。
泣くほど旨いか。祖母ちゃんが喜ぶな。
祖父に出て行けと言われても、俺の知っている遊び場なんて一つだけだ。
妹が歓迎するかしないかはさておいて
「ただ……雨なんだよなあ……」
136:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:28:16.02 ID:yGMN8B1w0
しとしと降り注ぐ雨を傘が受け止めて、足元に絶え間なく滴を落とす。
滑りやすくなった石段に気を払いつつ、妹と二人でいつもの川を目指した。
家を出てからずっと左右に首を傾げ続ける妹だが、なんで登山をしているかは触れない。
気になりはしているんだろうけれど、そこまで興味はないといった風だった。
一度も弱音を吐かなかった妹の頭に手を置いて撫でようとしてやると、自分から頭を小刻みに振った。
葉っぱが雨を完全に凌いでいるらしく、俺の特等席となった太い樹木の根本には一粒の雨も降ってきていなかった。
川を正面に見れる位置で腰を下ろすと、妹も隣に座った。
出るときに祖母から夕食分も含むおにぎり入りのバスケットを受け取ってしまったけれど、日が暮れるまでには山を下りた方がいいだろう。
139:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:30:54.89 ID:yGMN8B1w0
俺が転ぶ分には一向に構わないが、少し抜けている節がある妹に暗闇の中で濡れた石段を歩かせるのはとても危険だ。
雨が川に吸い込まれる音を聞きながら、日暮れ後の暇潰しを考える。
というか日中はずっとここにいるのか?
「お兄ちゃんがいるから楽しいよ」
躊躇いなくそんなことが言えちゃう妹がかっこいい。
俺ならば迷わず退屈の二文字で即答していた。
会話のネタが思い浮かばず、二人して降り注ぐ雨を眺め続ける。
雨の音に耳を傾けただぼーっと時間が過ぎるのを二人で感じるだけ。
妹が言うように俺が毛嫌いしていただけで、これもけっこう乙なものかもしれない。
143:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:40:59.48 ID:yGMN8B1w0
並んで座っていた妹がそう言って距離を詰めて体を寄せてきた。
「寒いから」
そして肩に頭を乗せてくる。
「寒くはないだろ」と言おうとしたところで、妹が触れている左腕から小さく振動が伝わってきた。
「……確かに冷えるな」
「うん」
冷えるからと上着を着せてやるが、たぶん震えは止まらないだろう。
今の妹なら容赦なく照りつける直射日光を浴びてても寒いと言いそうだった。
背中から反対の肩に手を伸ばして抱き寄せてやると、そのまま俺を見上げる形で体を倒して太ももに頭を乗せてきた。
145:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:41:55.89 ID:gkZoWOg30
148:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:43:57.33 ID:yGMN8B1w0
俺の腰の裏に手を回した妹が腹に顔を押し付けてきたので、飼い猫を可愛がるように背中を撫でてやった。
雨を凌ぎ始めて何分経ったくらいだろうか。
「お兄ちゃん。ごめんね」
妹の体から手を離してやると、逆にひんやりと冷たくなった手で首を掴まれた。
即行の一発芸だったらユーモアが溢れていると思う。
その手にはまだ力が入っていないので逃げるように動かしてやれば抜け出るのも容易だ。
でも、俺にはそんなことするを気がない。
『たぶん躊躇う』
縁側での妹との問答で返ってきた言葉を思い出す。
敢えてその後に続く言葉は聞かなかったし、それは聞くまでもなかった。
151:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:46:05.24 ID:yGMN8B1w0
その場で答えていれば妹からは笑顔で満点の花丸が貰えたに違いない。
頭上を見上げると、隙間なく重なり合った葉が地上と空を完全に遮断してくれていた。
最後が晴れない空ならばべつに見えなくてもいいし見る気も起きない。
締め付けが強くなり、飲んだ唾が咽喉を通る感触を感じた。
息苦しさが出てくるが、それよりも押し込まれた親指が痛かった。
妹の震えが止まっているのは、すでに結末が見えているからだろう。
妹が出した結論に抵抗することなく身を委ねて幹に背を預けたまま目を閉じて弾かれる雨音を静聴する。
葉を揺らして岩に弾け川に波紋を生む音は、安らぎを感じさせる心地のいいものだった。
残る不安をかき消すために太ももの上の頭に手を置いて横に一往復させると、それを合図に一気に締め上げられた。
157:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:48:14.21 ID:yGMN8B1w0
「冗談だから」
「ユーモラスだった」
「冗談……だから……」
正面から俺の肩に頭を乗せてそう何度も自分に言い聞かせるように呟いていた。
どうして抵抗しなかったかは訊かれない。
訊かれるまで俺も答えない。
久々に妹を抱きしめたとき、妹の体はまだ震えていた。
161:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:50:22.98 ID:yGMN8B1w0
「お腹空いたよね?」
疑問形なのに俺の返事を待たずして妹は自分膝の上に置いていたバスケットを開けた。
中に入っていたのは愛情という名の腕力で強引に詰められたおにぎりたちだった。
「……」
「……」
ラップが幾重にも捲かれていなかったら、バスケットが揺さぶられている間に更なる型崩れを起こして大惨事になっていたことだろう。
お前は悪くないぞと慰めるが、それでもごめんねと謝られた。
笑顔の祖母がおにぎりを力付くで敷き詰める姿を思い浮かべる。
けれども日頃の雰囲気とあまりにもミスマッチすぎてどれも定着しない。
「お祖母ちゃん……」
妹も似たような想像をしていたらしい。
164:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:52:49.74 ID:yGMN8B1w0
ぎりぎり留めている原型を壊さないようにと妹が慎重に取り出す。
まるで時限爆弾の処理を任されているような真剣な面持ちで一つ目のおにぎりを救出した。
圧迫されたご飯の粒が押し潰されてラップにこびり付き、先走った具の焼き鮭が「俺を見ろ」と自己主張している。
「……これお兄ちゃんの」
「兄想いでびっくりだ」
顔を背けて腕だけ俺に伸ばしておにぎりを手渡された。
おにぎりは宝くじの当選番号を確認する瞬間に似たドキドキ感が醍醐味だというのに完全にこれでは台無しだ。
「ハズレ……」
二つ目のおにぎりを抜き出して妹が悲しげに呟く。
165:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:55:21.41 ID:yGMN8B1w0
かつて具であったと思われるイクラの粒々が壊滅的な被害を受け、白米に汁をこびり付けるとてもグロテスクな二次災害を引き起こしている。
「おにい……ちゃん……」
涙目で交換を要求されるがそれはNG。
俺だってそんなものを咀嚼する勇気はない。
申し出を断固として拒否すると、はらはらと涙をこぼしながらおにぎりに噛み付き、
喉の奥から苦しげな呻き声を絞り出しながらお祖母ちゃんが詰め込んだ愛を深く噛み締めていた。
おにぎりとは呼称できない何かを3つ程平らげて時間を確認しようとポケットに手を入れると、どうやら携帯電話を家に置いてきてしまったらしい。
「時間分かるか?」
166:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 19:58:36.53 ID:yGMN8B1w0
「だよな」
携帯電話も腕時計も持っていない妹に時間を訊いたのは駄目元だ。
運が良ければ何かあるかもなんて思ったけれど、さすがに無から有は生み出せない。
帰ってくるなと言いつけられているが都会住みだった人間は山での暇潰しを知っているわけがない。
山中の散策も考えたてみたものの、たぶんこれ以上の散策は妹がすぐに音を上げてしまうだろう。
「晴れは……しないか」
少しでも晴れ間が見えることに期待をして空を眺めてみた。
木々に囲まれた部分は全てどんよりとした厚い雲で覆われていた。
急な気変わりでもなければしばらくはこの調子で振り続くと判断して、ちょうど良く足元に転がっていた小石を手に取って投げる。
水粒を弾かせて石が川に沈んだところで思いついた暇潰しは終了した。
168:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:01:13.57 ID:yGMN8B1w0
「縁起悪いからやめろ」
「ああっ!!」
蹴飛ばして程よく積み上がっていた小石の山を崩してやった。
生き地獄な状態にあるのは認めてやるが、そのお遊びは認めない。
雨雲が薄れ、雲の切れ目から夏を感じられたのはすでに時刻も夕方近くになった頃合いだった。
山道の石で舗装された階段で妹が足を滑らせないように手を引いて先導する。
「失敗だったかもな」
「なにが?」
173:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:03:58.25 ID:yGMN8B1w0
「そんなことないよ。楽しかったもん」
妹が貸していた腕に抱き付いてきたので歩きにくくなる。
心配の種だった妹に最後までそう言って貰えると悪い気はしなかった。
「ここで待ってろよ」
妹を家の裏の茂みに潜ませて俺は家に戻った。
自宅裏から表の道に回るが車などは見当たらず、今のところは誰かが訪ねてきている様子はなかった。
開きぱなしの玄関から顔を覗かせて中を確認すれどもやはり来客がいそうな気配はない。
玄関が開きっぱなしになっているのは日中ならば雨天曇天晴天いつものことなので気にも留めない。
この家だけだけが特別不用心というわけでなく、ここらへん一帯ならどこでも同じだ。
174:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:04:18.57 ID:eu9xUeSUO
177:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:06:32.22 ID:yGMN8B1w0
都会ではありえない非常に危機感に欠けた生活様式だ。
玄関には来客者らしき靴が見当たらないので、もしかしたら昼間のうちに俺と妹が外すべき用事は済んでいかのかもしれない。
靴を脱いで廊下に上がり祖父母を探す。
もうこの時間帯ならば祖母が夕飯の下ごしらえを始めていてもおかしくないのけれど、台所にその姿はなかった。
「ここに居たのか」
居間にもなかった祖母は、寝室の扉を開けると布団も敷かずに祖父と一緒に畳の上で横になっていた。
ぎしりと畳みを踏みしめて足音が近寄ってくる。
「ここに居たのか」とは祖母を見つけた俺が言ったわけではない。
久しぶりの肉親の声に背筋が凍えた。
180:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:09:05.73 ID:yGMN8B1w0
見せたことのない雰囲気に気圧されてたじろぎ、一歩下がる
「妹はどこだ?」
赤い滴を滴らせた包丁を手にして父親がそう訊ねてきた。
腹部を蹴飛ばされて壁に強く体を打ち付ける。
激しい鈍痛に堪えていると襟首を掴まれて部屋の真ん中に投げ飛ばされた。
「妹がどこにいるのか聞いてるんだよ。さっさと教えろ屑が!」
痛む体を海老のように折っていると、続けざまに蹴りが鳩尾に叩きこまれた。
「か……っ!!」
182:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:11:17.28 ID:24YqFh+g0
④
183:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:11:35.02 ID:yGMN8B1w0
「人の顔に泥塗るようなことばっかしやがって!! 出来損ないのガキが親に向かって楯突くんじゃねえ!!」
痛みで腹を抑えていた腕ごと再び同箇所に蹴りを入れられる。
体の全体が苦痛に喘ぎ思わず身を捩った。
「お前はまだまともな方だとは思っていたけどそれも大間違いだったな」
情けなくも床に仰向けに寝そべって父親を見上げる。
「これ以上痛い思いするのが嫌だったら教えろ。妹はどこだ?」
脇腹を正面から踏みつけながら冷たい視線で俺を見下ろしていた。
体験したことのない恐怖に口を割りそうになったが、寸前で踏みつけていた足の圧が増して呻き声に変わってくれた。
痛みの刺激で脳が少しだけ冷静さを取り戻して少しだけ父親に感謝する。
184:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:14:25.59 ID:yGMN8B1w0
「知ったところでどうなる」
「家族を心配するのは普通だろ」
ふんっと鼻で笑われた。
「あいつなら病院で入院しながら事情聴取されてたわ。殺人未遂犯としてな」
意味が理解できなかった。
母親が殺人未遂?
「なんでだよ。刺したのは妹の方なんだろ?」
「刺し殺そうとしたら逆に刃物を奪われて刺し返されたってことにさせたんだよ。俺がな」
「お前らを犯罪者の道から救ってやたんだ」
平然と妻を犯罪者にしたと語る父親をとんだクズだと思った。
186:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:14:47.34 ID:24YqFh+g0
188:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:16:42.76 ID:yGMN8B1w0
「がっ! ……くぅっ!!」
加重に歯を食い縛って耐え凌ぐ。
「警察にもどこに行ったかなんて話してないしな。兄妹ともどもそのまま行方知らずの方が気楽でいいだろ。幸い近場には山がある」
西日を浴びた包丁が怪しく光を反射させた。
そこまで考えていたなら余計に居場所なんか教えられない。
罪もなくして煉獄の世界で怯える妹を救いたくて逃げ出したのに、不幸だけを味合わせ地獄に突き落とすなんてのは俺が許さない。
「……どけろよ」
「なら言え」
「どけろつってんだよ!」
189:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:17:43.34 ID:jBSbZwpW0
192:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:20:06.63 ID:yGMN8B1w0
予想をしていなかった反撃に無様に尻から床に転倒するが、俺はそのまま父親を押し倒し組み伏せた。
体に走る違和感に顔を歪ませるが、怯んでいられる時間的余裕は無い。
包丁を握っている手を捻り上げて手元から離させる。
そして引き抜いた包丁を後方に投げ飛ばすが、奇襲が通じたのはここまでだった。
すぐさま下腹部の刺し傷に膝で蹴りを叩きこまれ、力任せにマウンドを取られてしまった。
もう対抗できる余力は残っておらず、父親が何かを吠えながら咽喉を両手で強く締め上げてきた。
すでに酸欠と激痛で視界がぼやけ始め、耳から入ってきた音も原型を失うほどに形を崩しながら頭の中で何度も反響した。
せめてもの抵抗として締め付ける手を引き剥がそうとするが、父親の腕に触れたはずの指先にはその感覚がなかった。
195:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:25:29.61 ID:yGMN8B1w0
ドスッという重たい振動と共に、父親の体が揺れた。
父親の背後に目をやると、そこに立っていたのは冷たい目をした妹だった。
家の裏に隠れさせていたはずの妹は父親の背から突き立てた包丁を引き抜く。
「やめろ!」
再び左腕を振りかざした妹に向けて叫んだはずの声は咽喉の奥で掠れ、出てきたのは勢いを失った呼吸音だけだった。
そして、俺はその包丁の行方を見届けるよりも先に混濁とした意識が黒い霞の中に深く沈んでいった。
198:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:27:54.68 ID:yGMN8B1w0
本格的に夏が始まってきました。
じりじりと騒々しく鳴く蝉は日毎に増え、今日も朝から無理矢理起こされてしまいました。
まだ眠い目を擦りますが、二度寝は気温と蝉と東日が許してくれませんでしたので、不満を飲み込んで断念します。
お兄ちゃんが可愛いと言ってくれたお祖母ちゃん譲りの白いワンピースに身を包みました。
敷いてある一人分の布団を綺麗な三枚折りにして部屋の隅に置いて朝の支度を整えたところで今日もお仏壇に朝のご挨拶をします。
お祖父ちゃんが鉄のぶつかり合う音が嫌いだと言うので、今回も鉢を鳴らさずにお線香だけで我慢です。
緑色のお線香の真ん中を指でつまんで半分にへし折り、蝋燭の火で先端を灯しました。
網戸も開けた縁側から涼しい風が入ってきて私の髪と立ち上る煙を靡かせました。
黙祷と一緒に手を合わせてしばらく静かに時間が過ぎるのを感じ、目を開けて一礼します。
ご挨拶を終えて朝食の席に向かうと既に食卓にはおかずが並んでいました。
203:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:30:25.43 ID:yGMN8B1w0
炊き立てご飯を堪能しながらテレビを点けるとニュースキャスターが最近起きた事件を読み上げていました。
「よく見ながら食えるな」
「だってニュースだもん」
これはべつにお祖父ちゃんに『ながら食べ』を注意されたのではありません。
点けたテレビがたまたま前の事件を髣髴させる報道をしていたからでした。
お父さんを包丁で刺した後、それでもお兄ちゃんから手を離さなかったのでもう一度刺そうと左手を振りかぶりましました。
ですが、騒ぎを聞き付けた近隣の方がもう部屋の近くにまで来ていたようで、取り押さえられてしまいそれは敢え無く失敗しました。
お父さんはお兄ちゃんから引き剥がされ、遅れて駆け付けた駐在さんは部屋の惨状を見て驚愕していました。
205:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:32:58.59 ID:yGMN8B1w0
到着するまでの間にお兄ちゃんは周りの人たちにいくら呼びかけられても最後まで反応することはありませんでした。
それから警察の方々から何度も取り調べを受け、私が犯した二件の罪は故意的に人を傷つける目的ではなく、
私とお兄ちゃんの身を守るために行った正当防衛という形で片付けられました。
家でお母さんを刺した事件は私の当時の記憶が不鮮明であることと、事前にお父さんがしていた説明の方が辻褄が合うことでそっちを優先され、
不本意にも親想いの娘が殺人未遂犯の母親を擁護する証言として処理されてしまいました。
お母さんとお父さんへの処罰は聞かされていませんが、たぶんしばらくは会えなくなると思います。
けれど、私はいけないの子なので何から解放されたような爽やかな気分になれました。
遠く離れた都会の便利さが恋しくなりますが、家主を失ってしまっているのでお別れです。
朝ごはんを食べ終えて食器を洗い、お釜に残ったお米で塩味のおにぎりを作ります。
作れるだけのおにぎりをバスケットに詰め込み、氷を水筒に入れてお茶を注ぎ口から注入します。
蓋を閉めて朝のドラマに呆けるお祖父ちゃんに行ってきますと声をかけ家を飛び出しました。
炎天下前から畑で汗水垂らして作業するお兄ちゃんに会いたくて、掛ける足を早めました。
おわり
206:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:33:36.11 ID:24YqFh+g0
208:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:34:21.08 ID:jBSbZwpW0
乙
211:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:38:44.40 ID:QqE0p39c0
次回からは会話形でよろしく
218:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:41:46.60 ID:lmjpiuTt0
219:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:42:34.06 ID:yGMN8B1w0
ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。
225:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:46:09.50 ID:24YqFh+g0
220:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:42:41.38 ID:24YqFh+g0
おばあちゃんは死んじゃったんだね・・・
223:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:44:30.74 ID:jBSbZwpW0
父親の異常性がまず先だな
227:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:51:57.60 ID:D9oRLPEl0
229:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:56:42.29 ID:3ubz4nw1O
おつおつお!
215:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/16(金) 20:41:04.18 ID:f/FKIeQU0
乙
引用元:赤くなった妹が「気持ちよかった」と兄に言うお話。
妹が共産主義に染まったって所まで読んだ
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