1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 21:38:42.06 ID:FqgaiBAV0
強制的に打ち切りになってしまったので、思い絶ち難く
改めてうpさせてもらうので、また宜しくたのんます。
先日、行きつけのの古書店で入手した、江戸時代以前の
武将や侍の幼少期から元服前までの姿を描いた本だけど
考えようによっては書かれてる年齢層からしてショタ本と
位置づけても良いのではなかろうかと思った次第でして。
viploader.net/jiko/src/vljiko087086.jpg
では、まずは表紙。題箋(タイトル)部分は見てのとおり後付け。
サイズ的には一般に刊行されてる少年誌のコミックスサイズと同じ。
4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 21:40:33.55 ID:FqgaiBAV0
【書名】
英雄幼百員:えいゆう おさな ひゃくいん
【著者】
松亭 金水
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BA%AD%E9%87%91%E6%B0%B4
【絵師】
歌川 芳虎:うたがわ よしとら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E8%8A%B3%E8%99%8E
歌川 芳綱:うたがわ よしつな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E8%8A%B3%E7%B6%B1
刊行時期に関しては、絵師の作画時期から推定して
恐らく1850年代あたりと思われ。
5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 21:41:47.35 ID:CrVKTwjX0
6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 21:41:52.59 ID:FqgaiBAV0
なお、本文の内、旧仮名遣いは現行の物に改め
当て字・平仮名表記等は適宜訂正してありますので了解の程を。
viploader.net/jiko/src/vljiko087088.jpg
【序文】
それ諺にいう事あり。栴檀(せんだん)は二葉にして
その馨(かんば)しきこと余木(よぼく)に倍(まさ)り、
迦陵頻迦(かりょうびんが)は卵にありて、その声、諸鳥に勝るるとぞ。
人に於いても また然り。およそ名将・勇士および忠臣・孝子・英雄も
みな天廩(てんりん)の所にして、一たび 母の胎中に出るときより
みな備わりぬ。
ここに於いて、まだいわけなき童稚(どうち)といえども
衆人に遠く勝れるもの故に、後世にこれを語り継ぎ、
言嗣(いいつぎ)てもて称賛するもの、上古、中世、近きに至り
其人(そのひと)更に乏しかりぬも、猶(なお)後世に傳(でん)ありて
はやけき人物幾千人の其中(そのうち)に また傑然(けつぜん)たるを
擇(えら)び出せし一百員(いつひゃくいん)。
まずその半(なかば)を裂きてもて、こたび開板の期(とき)に至り、
其事(そのこと)をもて序せよという、書肆(ふみや)が需(もとめ)に応じて。
観蓮舎の窓の下に 松亭 汗叟 金水 題
8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 21:43:50.46 ID:FqgaiBAV0
崩し字がキツイので読めましぇん…
【御曹司 為朝/源 為朝】
viploader.net/jiko/src/vljiko087089.jpg
源の為義(ためよし)の八男なり。
身丈七尺余、力、抜群に越え、好んで強弓を曳て、
つくし(筑紫)九ヶ国を押領して
自ら総追捕使(そうついぶし)となる。
人よんで鎮西八郎と号す。この時、十六才なり。
保元の軍(いくさ)やぶれて伊豆の大島へながさるる、十八才なり。
島々を押領して嘉応年中、大島を逃がれ、りゅうきう(琉球)へわたり
王となり、舜天大神宮(しゅんてんだいじんぐう)と と言えり。
源為朝 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%82%BA%E6%9C%9D
9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 21:44:14.49 ID:O1ZtyAP50
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 21:47:08.27 ID:FqgaiBAV0
viploader.net/jiko/src/vljiko087091.jpg
【悪源太 義平/源 義平】
人皇五十六代の聖主・清和天皇、第六の皇子・貞純親王の御子、
六孫王 義基(つねもと)の七世、六条判官 為義(ためよし)の男、
従四位 左馬頭 義朝(よしとも)の嫡男なり。
十六才のとき、叔父・義賢(よしかた)を討つ。
それより悪源太と人呼び名せり。平治の合戦やぶれて落人となり、
難波の次郎がために生け捕られ誅せらる。
その一心、雷となりて布引の滝にて難波を撃つ。
源義平 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E5%B9%B3
>>9
本自体は木版刷りですが、序文そのものは作者なり筆耕なりが
筆書したものを版木に貼って起したものですので、無論手描き
という事になりますね。
10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 21:44:30.09 ID:Z7Tjx03h0
12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 21:48:51.13 ID:FqgaiBAV0
楠河内判官・橘正成(まさしげ)の嫡男、
後に帯刀(たてわき)正行(まさつら)と号す。
父・正成、南朝の為に忠節を尽くすといえども
計策のならざるを察し、討死と思い定め、延元五年 五月、
足利勢を刺さんと攝州(せっしゅう)へ発向ある時に、
河内国・桜井の駅に多聞丸を近づけ遺訓なし、
兵書をさづけて出陣し湊川にて討死す。
正行、父が遺命を守りて南朝に仕えて敵を破る事 数度、
二十五歳にして四条縄手に討死す。
楠木正行 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E8%A1%8C
>>10
はい、手持ちのものがありますので、色調整とか大幅に加味してですが。
13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 21:51:14.88 ID:FqgaiBAV0
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【御児丸:おちごまる/畠山 尚順(はたけやま ひさより/ひさのぶ)】
畠山 左ヱ門尉 政長の長男なり。
幼稚より諸道に達し、其の頃、父・政長、出頭たるをもって
我意のふるまいあるによって、足利譜代の面々、敵となり、
応仁二年 四月 二十七日、大軍を以って政長の居城を攻める。
政長、小勢にて防ぎ難く、依って郎党・平三郎に命じて
桂の遊女に出立(いでたた)せ、敵陣を落とさしぬ。
後、軍功をあらわし、家名を再興す。
畠山尚順 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%A0%E5%B1%B1%E5%B0%9A%E9%A0%86
要は息子に女装させて敵陣に潜入させて敵の大将を騙まし討ちして
壊滅させたという、ヤマトタケルばりの活躍をしたらしい…という
事になるんですかね。
14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 21:51:22.55 ID:Z7Tjx03h0
ちょっとした本の自炊なら出来るのかな
それよりショタはまだ?
16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 21:54:38.72 ID:FqgaiBAV0
信州・伊沢五郎 信種の家臣、春日 大隅守(おおすみのかみ)という者、
伊沢没落の後、百姓と成て有りける。その末子なり。
武田晴信に仕え、春日源五郎と言う。後年に至り、
高坂 弾正忠 昌信(まさのぶ)と号して信州・海津の城主となる。
これ、武田家のいしずえ(礎)なり。
春日虎綱 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E6%97%A5%E8%99%8E%E7%B6%B1
高坂弾正こと春日源助といえば、信玄とのアッーな関係を実証する
書状が残っている事でも有名ですな。
http://8.health-life.net/~susa26/zakkityo/tegami/singen.htm
>>14
寵童キャラとか、更に年齢層が下のキャラは後ほど出てきますので
期待せずに待ってって頂ければ…と言う事で。
17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 21:56:55.15 ID:Z7Tjx03h0
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 21:57:34.90 ID:FqgaiBAV0
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【茶々丸/足利 茶々丸】
堀越御曹司と号す。伊豆国・堀越御所、
三位左兵衛督(さんいさひょうえのかみ)
政知(まさとも)卿のにて、東山殿の御甥(おんおい)なり。
延徳年中、継母を殺害し、御父・政知卿を攻めて自害せしめ、
相州・三浦之介 時高(ときたか)を語らい籠城す。
明応三年 甲寅、九月二十三日、
伊勢 新九郎 長政がために落城して自害す。
法名・成就院 福山 応徳と号す。
足利茶々丸 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E8%8C%B6%E3%80%85%E4%B8%B8
ネギま!の茶々丸のネーミングは、 茶運び人形的な
からくりイメージに加えて、恐らくは、このあたりが
元ネタなんでしょうねぇ…
20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:00:19.36 ID:FqgaiBAV0
清和天皇の後胤・八幡太郎 源義家(よしいえ)十代の孫、
新田 氏光の男、新田 左中将 義貞の次男なり。
新田 左兵衛佐 義興(よしおき)と号す。軍功数え難し。
後に竹沢 左京亮(さきょうのすけ)に謀られ、矢口にて討死す。
その一念、雷となりて竹沢を討ち殺す。
新田大明神と崇めしは、この君(きみ)なり。
新田義興 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%94%B0%E7%BE%A9%E8%88%88
菅原道真公といい、先程の悪源太義平といい、
恨みを晴らすために雷になるキャラって多いですよね。
21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:02:18.54 ID:FqgaiBAV0
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【小次郎/熊谷 直家】
桓武天皇の後胤、私(し)の党の旗頭、熊谷 次郎太夫 直貞(なおさだ)
三代・熊谷 次郎 直実(なおざね)が男なり。熊谷 直家(なおいえ)と号す。
少年より父・直実に従い、一ノ谷、宇治川の先陣をなし高名をあらわし、
父、入道して蓮生坊と号して世事を遁れる。
直家、家督を継ぎ、頼朝卿、奥州征伐の時、数万騎の将軍たり。
熊谷直家 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E7%9B%B4%E5%AE%B6
所領争いに関連して、親父がキレて出家しちゃったお陰で
若くして、いきなり跡を継がされてしまうという…同情します…。
23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:04:57.65 ID:FqgaiBAV0
武蔵権守(むさしごんのかみ)藤原 興世(おきよ)が一子なり。
平親王 将門(まさかど)が小姓にして、度量 人に優れて忠臣なり。
相馬内裏 落城の時、大いに官軍を破る。敵、これを恐れ遠矢を射る。
矢づくめとなり立ち往生しける。
【関連】平将門 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B0%86%E9%96%80
伝承の上では将門の寵堂だったという美少年。
無 論 、 後 世 の 創 作 キ ャ ラ で す け ど な !!!
24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:08:12.41 ID:FqgaiBAV0
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【太郎丸】
大将軍・頼朝公の小姓なり。相模前司(さがみぜんじ)と言う。
建久四年 五月 二十八日、曾我兄弟、夜討ちのみぎり、
御所の五郎丸と共に曾我の五郎 時宗(ときむね)を
生け捕りて高名を顕(あらわ)すなり。
されども、五郎丸は世の人知ると言えども、
太郎丸の高名は、人これを知らざるなり。
【関連】
曾我兄弟の仇討ち - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BE%E6%88%91%E5%85%84%E5%BC%9F%E3%81%AE%E4%BB%87%E8%A8%8E%E3%81%A1
【金王丸/渋谷 正俊】
左馬頭 義朝の小姓なり。渋谷 土佐次郎 正俊(まさとし) と言う。
頼朝に仕え、伊勢の国にて一万町 領す。入道して土佐坊正俊。
堀川夜討の時、主君・兄弟の仲を重んじて討死したる。
土佐坊昌俊 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E5%9D%8A%E6%98%8C%E4%BF%8A
渋谷の中心部から國學院大学に行く途中にある金王八幡宮ゆかりの人物ですね。
http://www.geocities.jp/ynycr674/index.html
25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:11:40.46 ID:FqgaiBAV0
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【有王丸:ありおうまる】
法生時・俊寛(しゅんかん)僧都の小姓なり。忠義無二の若者なり。
俊寛、謀反を企て平家一門を滅ぼさんとして露見し、
康頼(やすより)、成経(なりつね)、俊寛、鬼界ヶ島へ流され、
其の後、二人は赦免あれど俊寛ひとり赦免無く、かの島に残る。
有王丸、主君・俊寛の後を慕いて鬼界ヶ島へ渡りて
俊寛の先途(せんど)を見送りたる。忠孝の者なり。
有王 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E7%8E%8B
【重太丸:ちょうたまる】
前伊予掾(さきのいよのじょう)純友(すみとも)が六男なり。
豪勇にして古今無双の美少年なり。
幼きながら父と共に諸所の合戦にしたがい、高名をあらわし、
箱崎の合戦のみぎり、味方利無くして、父・純友、資信(すけのぶ)、
純年(すみとし)、純義(すみよし)、純青(すみはる)、伊王丸 討死す。
橘 遠保(とおやす)がために生け捕られ、誅せらる。
【関連】藤原純友 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%B4%94%E5%8F%8B
26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:14:29.07 ID:Z7Tjx03h0
28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:15:24.81 ID:FqgaiBAV0
viploader.net/jiko/src/vljiko087178.jpg
【平太郎/平 良門】
平親王 将門の子なり。父亡びし時、未だ母の胎内にあり。
姉に養育せられ人となり、十六歳の時、自ら元服して
将軍太郎・平の良門(よしかど)と名乗り、父に劣らぬ怪力あり。
諸国の悪党を語らい、天下を覆さんと攝州・多田の城に押寄せしが
頼光(よりみつ)の武威に敵しがたく、渡辺の綱がために討ち死にす。
平良門 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E8%89%AF%E9%96%80
江戸の草双紙の中では、ガマや蜘蛛の化物を召喚する
サマナーとして、姉の滝夜叉姫と共に大活躍します。
【松若丸】
吉田少将 惟房(これふさ)卿の嫡男なり。
武術すぐれて英雄の美少年なり。
神隠しと成って、年経て還り、父の没落を嘆きて
逆賊を滅ぼして、再び吉田の家名を顕わすなり。
梅若丸(※後述)の兄なりける。
29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:20:35.40 ID:FqgaiBAV0
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【治郎吉/甘粕 景時】
信濃・甲斐の国境、白岑(しらみね)の者なり。
五才の時、父母に別れ叔父に養われ、その後 謙信に奉公なし、
甘粕 近江守 景時(かげとき)という。越後二十四将の其の一人なり。
甘粕景持 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E7%B2%95%E6%99%AF%E6%8C%81
(近江守は同じだが、景時という名は見当たらないので正しくはこっちか?)
【酒呑童子】
丹波の国、富家の子なり。
母、懐胎して十八ヶ月経て、母、産所に苦しみ死す。
其の胎内より生まるる。(不読)人の乳を吸う事おびただし。
後、生血を好み、生きながら歯生えしゆえ、人呼んで鬼子と言う。
父、これを恐れて山中に捨てる。
成長して同国・大江山の鬼賊の首(かしら)と成り、
源頼光がために討たるるなり。
酒呑童子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E5%91%91%E7%AB%A5%E5%AD%90
はーい、ここで「超」が付くレベルの大物妖怪が登場ですよー!
31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:22:08.74 ID:WOnuez970
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:26:21.05 ID:FqgaiBAV0
viploader.net/jiko/src/vljiko087181.jpg
【勝千代丸/武田信玄】
多田 満仲(みつなか)の二男、源 頼信(よりのぶ)公の嫡男、
鎮守府将軍 伊予守の四男・新羅三郎 左ヱ門尉 義光(よしみつ)の後胤、
武田 左京太夫 信虎(のぶとら)の嫡男にして、
武田 太郎 晴信(はるのぶ)と号す。十八歳にて家督す。
大膳太夫となり、後、従五位下 信濃守。
天文二十一年、剃髪して法性院 大僧正、 法名・東林寺 義山 大居士 信玄と言う。
天正元年、四月十二日 薨(こう)ず。
武田信玄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%8E%84
【無官太夫 敦盛/平 敦盛】
桓武天皇の後胤、和州の国守・三位中将 経盛(つねもり)の三男なり。
横笛を好んで名人なり。世に青葉の笛というを残したり。
寿永三年、一ノ谷の戦いに、源氏の武士・熊谷二郎 直実(なおざね)に討たれ、
末世に其の名高し。須磨の浦辺に古跡を今に留めたり。生年十六才なり。
平敦盛 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%95%A6%E7%9B%9B
歌舞伎だと後白河法皇の御落胤という設定になってて、
前述の熊谷小次郎クンが、身代わりとなって自分の親父の
直実の手に掛かって討たれちゃうんですよね…
63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 00:21:31.64 ID:VFvoqoe90
男の娘という括りに入るかどうかは微妙ですが、
かのヤマトタケルノミコトも十六歳にて女装して
クマソタケルを討ち果たしています。
で、重要な事ですが、この話は皇室の公的な記録である
古事記や日本書紀に記載されている事項であり、女装を
今のように忌むべきモノではなく、少なくとも肯定的に
とらえていたと考えても差支えないのだろうと考えられます。
そうでなければ(実在の有無は別としても)
建国に関わった英雄が女装していたなんていうのは
海外の歴史だと考えられないような状況ですからねぇ…。
34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:27:46.28 ID:q/KQ6UgH0
35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:30:43.46 ID:FqgaiBAV0
viploader.net/jiko/src/vljiko087183.jpg
【菊王丸】
能登守 教経(のりつね)の小姓なり。
寿永三年 三月、一ノ谷合戦に平家没落して、
文治元年、八島壇の浦にて源平戦いの時、源氏方の侍、
佐藤 四郎兵衛 忠信の矢先に当たりて討死にしける。時に十七歳なり。
菊王丸 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E7%8E%8B%E4%B8%B8
【文殊丸/源 頼光】
清和天皇 四世の孫、多田 満仲(みつなか)殿の嫡男、
摂津守 源 頼光(よりみつ)公の童名(どうみょう)なり。
父祖超えて聡明・英智にわらせたまい、文武兼備の良将。
なかんずく、射芸は古今に秀で、漢土(もろこし)楊雄(しょうゆう)が女(むすめ)
枡花女(しょうかじょ)、夢中に雷上同(えあいしょうどう)の名箭(めいせん)
二筋(ふたすじ)を添えて参らするを見て覚めたまえば、御枕辺に在りしとなん。
四天王の面々をはじめ、忠臣、君をを補佐して朝廷に対し奉りて軍功いと大かりけり。
今尚(いまなお)、摂州 多田の荘に宮柱太しく建てて、霊験、日々新たなり。
源頼光 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E5%85%89
36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:33:56.05 ID:FqgaiBAV0
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【善哉丸:公暁】
源 頼家(よりいえ)の子なり。父、豆州・修善寺に弑(しい)せらる。
是(これ)、実朝(さねとも)の所為なりと心中に憤り、恨みを散ぜんと狙う。
承久元年 正月 二十五日、実朝 鶴ヶ丘へ参拝(の)とき、途(みち)にて討ち取り、
三浦 義村(よしむら)が方へ駆け入り、此処にて即座に討たる。
公暁 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%9A%81
【幸壽丸:こうじゅまる】
源家(げんけ)譜代の忠臣、能瀬 兵庫頭・藤原 仲光(なかみつ)が一子。
父・仲光、主君・多田満仲の命に依って、公達(きんだち)たる
美女丸(びじょまる)を害し奉らんとするに、何卒 御命(おんいのち)を助けんと
心痛、面(おもて)に現るるを悟り、密かに父に告げて言うよう、若君を助けたまわん、と。
されど、思うに暮れたまわばなどで、我が身を御身代わりに殺しては たまわらねど、
幸い、年さえ美女丸と同じく十五歳、心を悩ましたまう事(不読)身をさしつけて進むるにぞ、
仲光、悲嘆に伏せれども忠義に代えじと思い定めて漸く彼を討たんとす。
幸壽、喜び合掌して(辞世の歌:不読)斯く辞世して死を潔く為し、若君を助け奉りぬ。
満仲、これを聞いて其の忠義を感じ、丹波国に一町(を)賜わり、菩提を弔いぬ。
【参考リンク】美女丸
http://www.manganzi.jp/sub_navi1.html
37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:40:29.59 ID:FqgaiBAV0
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【怪童丸(金太郎)/坂田 公時】
源 頼光(よりみつ)四天王の一人、坂田 主馬介 公時(きんとき)が幼名なり。
幼名の出所、極めて詳らかならず。
或る曰く、相模国・足柄山の山中なる山姥が産むところなりとも、其の虚実、知れ難し。
英名は、今世(こんせい)三尺の童子も良く知って、強き人の咄(はなし)出れば、
先ず一番に公時の名を言う。
大江山の鬼賊を鏖(みなごろし)なし、北野の杜(もり)に土蜘蛛の妖怪を退治たる説など、
世に以って普(あまね)く言い伝う。其の後、終わるところを知るもの無しとぞ。
金太郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%A4%AA%E9%83%8E
江戸時代においては、金太郎よりも怪童丸の方が
メジャーなネーミングだったようです。
38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:45:23.83 ID:FqgaiBAV0
左馬頭 義朝(よしとも)の九男なり。九郎判官と号す。
幼名・舎那王(しゃなおう)とも言う。
軍功有って、従五位下 左ヱ門尉。内、昇殿を聴かさる。
それより四国の領主と成って伊予守と名乗る。
兄・頼朝と不和となり、再び奥州に下りて、
名を包みて、北上 左ヱ門尉 義行(よしゆき)と言う。
高館殿(たかだちどの)と申したる泰衡(やすひら)が為に没落して、
年・三十一歳、東夷(とうい)に落ち行きて、彼の地を伐り従え、
義経大王(ぎぐるみだいおう)となる。卒後、義経大明神と申し奉る。
源義経 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E7%B5%8C
「義経大王(ぎぐるみだいおう)」云々というのは、
アイヌの伝承での「オキクルミ」と同一視したものの
事を指してるのでしょうかね。
ただ、この説と言うか伝承自体が江戸時代に入って以降の
成立なので疑わしき事甚だしい…という事だそうですが…。
39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:50:51.82 ID:FqgaiBAV0
viploader.net/jiko/src/vljiko087186.jpg
【駒王丸:木曽 義仲】
清和天皇・八世の苗裔(びょうえい)、八幡太郎 義家(よしいえ)の孫、
帯刀先生 義賢(たてわきぜんしょう・よしかた)の次男なり。
成長して木曽 右馬頭 義仲(よしなか)と名乗り、
強勇無双にして源家恩顧を味方に告げ、治承四年 夏五月、
高倉宮の令旨を賜りて義兵の旗を北国に翻し、禁裏を守護し、旭将軍と号す。
近江の国、粟津が原の合戦に討死す。
源義仲 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E4%BB%B2
【五郎丸】
源頼朝公の小姓なり。御所の重宗(しげむね)という強力無双なり。
建久四年、五月二十八日の夜、曾我兄弟、冨士の御仮屋にて親の敵、
工藤 左ヱ門 祐経(すけつね)を討ち、天下(注・頼朝の御座所)近くへ乱入す。
五郎丸、曾我五郎 時宗(ときむね)と組んで生け捕り、高名をあらわす。
後、相模国にて一万丁 領すなり。
【関連】
曾我兄弟の仇討ち - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BE%E6%88%91%E5%85%84%E5%BC%9F%E3%81%AE%E4%BB%87%E8%A8%8E%E3%81%A1
40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:56:42.82 ID:FqgaiBAV0
viploader.net/jiko/src/vljiko087188.jpg
【熊王丸/鷲尾 義久】
鷲尾庄司 武久(たけひさ)の子なり。元暦元年 二月二十日、一の谷のうしろ、
鵯越(ひよどりごえ)の案内して軍功をあらわす。この時十七歳なり。
義経より一字を賜りて、鷲尾 三郎 義久と名乗る。
奥州に至りて、義経と共に蝦夷に渡りたるとかや。
鷲尾義久 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%B2%E5%B0%BE%E7%BE%A9%E4%B9%85
【箱王丸/曾我 時致】
祐成(すけなり)の弟なり。成長して養父の名跡を名乗りて曾我 五郎と言う。
北条時政の烏帽子子(えぼしご)となり、名乗りを時宗(ときむね)という。
建久四年 五月二十八日、冨士の御狩の時、仮屋に忍び入り、
親の敵・工藤 左ヱ門 祐経を討って本意を達し、五郎丸に生け捕られ
冨士の根方、鷹が峰にて誅せらる。時に二十才なり。
曾我時致 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BE%E6%88%91%E6%99%82%E8%87%B4
41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 23:04:36.41 ID:FqgaiBAV0
viploader.net/jiko/src/vljiko087189.jpg
【伊王丸】
前(さき)の伊予掾(いよのじょう)純友(すみとも)が五男なり。
英雄 大丈夫の少年にして、父と共に箱崎の合戦に大いに敵を破るいえど
利無くして、父・純友と共に討死しける。これ一個の少年なり。
【関連】藤原純友 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%B4%94%E5%8F%8B
同じ純友の息子でも、前述の重太丸は実在の人物みたいだけど、
こっちの方はwikiに名前が無いところを見ると、
恐らく架空のキャラっぽいですな…
42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 23:09:57.35 ID:FqgaiBAV0
工藤 左ヱ門 祐経(すけつね)の幼名なり。
その父・祐次(すけつぐ)、病 既に危うきに臨んで、
一族・伊東三郎 祐親(すけちか)に、領する所の三ヶ荘を預け、
金石(丸)を託して遂に没しぬ。
かくて金石、成人すと言えども、所領を戻さざれば、この遺恨によって
郎党二人に祐親を射さしむるに、過って河津三郎 祐安(すけやす)を射たり。
後、頼朝 天下一統したまいて、金石、一臈職(いちろうしょく)に進み、
工藤 左ヱ門尉 祐経と号し、出頭(おっとり)たり。
彼の河津が両人の子、曾我 祐信(すけのぶ)の養子となり、
建久四年 五月二十八日、冨士の仮屋にて、この兄弟に討たるる。
工藤祐経 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A5%E8%97%A4%E7%A5%90%E7%B5%8C
この時期は「一所懸命」の言葉どおり、所領争いが頻発しまくったせいで
やたらと死人ばっかりが出るようなイメージが…。
43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 23:14:49.41 ID:FqgaiBAV0
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【梅丸】
北条九代執権・相模入道 高時(たかとき)の落胤。
雪ノ下・相乗院の稚児なりしが、故あって江ノ島の社地に建ちたる
屏風石を括り添えて海底に沈めらるる折、詠じける(和歌:ただし不読)
其のまま波間へ打ち入れられしが、長崎 勘解由左ヱ門が霊に助けられ、
其れより忽ち悪心を発し、陰謀を企て世を傾けんとすれど、
事成らずして討ち死にす。
出典:合巻「梅川忠兵衛・二人虚無僧」
(作:山東 京伝/画:歌川 豊国/文化9年(1812年)刊)
梅丸が咥えているのは、亡き父・北条高時の髑髏。
44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 23:20:08.08 ID:FqgaiBAV0
義忠が遠き先祖は葛原親王の後胤、相州・衣笠の城主、
三浦 大介の男、岡崎 四郎 義実(よしざね)が子なり。
治承四年 八月、頼朝、石橋山 義兵の時、先陣たり時、
少年十六歳にて、わずか十五騎にて大庭・俣野の大軍を破る。
俣野と組討して、長尾新吾、同・新六が為に討ち死にしける。
佐奈田義忠 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%A5%88%E7%94%B0%E7%BE%A9%E5%BF%A0
討ち死にの際、痰が絡んで声が出せずに討たれたという事から
現地では、咳や痰、喘息などの神様として厚い崇敬を受けているそうです。
のど(声)・せき・気管支炎・喘息・諸祈願所 石橋山古戦場 佐奈田霊社
http://www4.tokai.or.jp/sanada-reisha/
45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 23:24:48.90 ID:FqgaiBAV0
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【石動丸】(石童丸)
筑前国・松浦の住人、加藤 左ヱ門尉 繁氏(しげうじ)の一子なり。
父・繁氏、世事を思い、出家遁世して妻子を捨て、高野山へ入る。
其の後、大内介 義弘(よしひろ)がために国郡を奪われて、
石動丸、父を尋ねて高野山に登りて親子巡り逢う。
後、成長して味方を集めて大内と合戦に及び、
勝利を経て、再び故郷へ帰る。
石童丸 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%AB%A5%E4%B8%B8
【奈弥 辰蔵/鉄 上野介:くろがね こうずけのすけ】
越後上田、土民の子なり。
十四歳の時、ある近隣の富家、強盗込み入しを、三人斬り殺しける。
後年、(上杉)輝虎に仕え、十六歳にて
強敵・長尾平六郎 俊景(としかげ)を討ち取り、府内の城門を破る。
これより、鉄 上野介 安則と名乗る。
後に兵部、また、安芸守と改め、
景勝に従い、春日山に移り上田衆と号す。
48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 23:28:13.02 ID:FqgaiBAV0
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【永壽王丸:えいじゅおうまる/足利 成氏(しげうじ)】
足利尊氏の二男・基氏(もとうじ)、其の子・氏満(うじみつ)、
其の子・満兼(みつかね)、其の子、持氏(もちうじ)相続し、鎌倉管領たり。
父・持氏、京都を疎みて謀反を企て、戦、利無くして自害しける。
時、永享十一年 二月十日なり。
永壽王は四男なり。里見・一色・今川・桃井らが助けにてよりて信州へ落ちたまうに、
美濃国の守護、土岐 左京太夫 持益(もちます)に預けられる。
宝徳元年、亡父・持氏の跡を賜い、元服して左馬頭 成氏(なりうじ)と申すなり。
足利成氏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E6%88%90%E6%B0%8F
49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 23:31:50.36 ID:UhHnmCuj0
50:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 23:34:33.75 ID:FqgaiBAV0
甲斐源氏の類葉(るいよう)、木曽殿に扈従(こじゅう)せしが、
頼朝、義仲、信州・月守山に和議なって、その子・義高、鎌倉に至る時
随従しておもむく途中に、冠者(義高)故郷の事 思い続けて
(和歌:はや消える 途の草葉や 枯れぬらん あまり焦がれて ものを思えば)
幸氏かたわらに有りて
(和歌:想いには 道の草葉も よも嬉し 涙の雨の 常に降りけん)
主従共に十一才の時となん。
成長の後、信濃国に居住なし、大功の勇士となれり。
海野幸氏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%87%8E%E5%B9%B8%E6%B0%8F
52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 23:40:08.76 ID:FqgaiBAV0
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【清水冠者 義高/木曽 義高】
木曽 左馬頭 義仲(よしなか)の嫡男なり。
頼朝、義仲と一戦に及ばんと信州へ発向す。
木曽、これを聞きて、今 平家を亡ぼすの時、同家の合戦益無しと
義高を人質に鎌倉へ渡す。依って、頼朝 軍を帰す。
後、再び矛盾して義仲、粟津に討ち死になす。
この時、義高 鎌倉を出て信州へ帰らんとする途(みち)、
武州・入間川にて追い迫り、ここに命を落とす。
源義高 (清水冠者) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E9%AB%98_(%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%86%A0%E8%80%85)
53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 23:44:30.97 ID:FqgaiBAV0
桓武天皇の後胤、金吾将軍 平 惟重(これしげ)の末孫なり。
城 太郎 資永(すけなが)が子なり。
叔父・四郎 資茂(すけしげ)に養育せられて成長し、
城 平九郎 資盛(すけもり)と名乗る。
建仁元年、資盛 反逆を起こし、資茂、伯母・板額(はんがく)女を
初めとし、一族 越後の国・鳥坂の城に立て籠もりて、鎌倉の討手、
佐々木 盛綱がために落城して自害しける。
城資盛 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E8%B3%87%E7%9B%9B
板額御前は、木曽義仲の愛妾・巴御前と並ぶ源平2大女傑。
ちなみに、別の本では、敵兵の頭を石の手水鉢でブチ割ってる
スプラッタな挿絵を見たことがあったなぁ…
54:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 23:49:48.16 ID:FqgaiBAV0
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【梅若丸】
吉田少将 惟房の三男なり。心柔和にして古今の美少年なり。
母の行方を尋ねんと、みちのくの方をこころざし行き、
奥州道・隅田川にて人買いが為に死す。
その古跡、今に隅田川・木母寺(もくぼじ)に梅若塚と
世に残りけるは、この少年なり。
【参考リンク】梅若丸について
http://umebachiya.com/edokaiwai/umewaka/umewaka.htm
↓こっちは明治時代に入っての月岡芳年センセの作品だけど、
こっちは「正に美少年!」といった感じ。
月岡芳年:東名所墨田川梅若之古事 (明治16年)
www.muian.com/muian04/04yoshitoshi21205.jpg
55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 23:55:12.25 ID:FqgaiBAV0
左馬介 源 満仲(みつなか)の五男にて頼光(よりみつ)の舎弟なり。
父・満仲、隠居の後 摂州・多田に住したまう。ゆえに世の人、
多田の満仲と称し奉りぬ。この君、仏道に帰依したまい、
末子たる美女丸を出家にせんとなしたまう。
美女丸、これを辞(いな)みたまえば、怒りを起こして
家臣・能瀬 仲光(なかみつ)に仰せて害せんとなす。
仲光、無二の忠臣なれば、一子・幸壽(こうじゅ)を討って
身代わりとなし、美女丸を密かに比叡山に登せて
恵心僧都(えしんそうづ)の弟子とし、法名・源賢(げんけん)とぞ申しける。
かかれば、源賢、仲光親子の忠義を感じ、道徳いみじき聖(ひじり)となり
幸壽が後世(ごせ)を弔いたまいぬ。
【参考リンク】美女丸
http://www.manganzi.jp/sub_navi1.html
で、要はコイツがDQNだったせいで家臣の幸壽丸が
とばっちりを食ったという事なので、美談仕立てでは
あるが、どうしようもないというお話なのでした。
56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 23:59:08.49 ID:FqgaiBAV0
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【阿座丸/平 景清】
平家の侍大将、上総七兵衛 景清(かげきよ)が幼名なり。
上総の国に生い立ち、尾張の国・熱田に住す。
平族、西海の波間に沈みし後、その仇を報わんと鎌倉に伺い、南都に狙い、
種々に心を尽くすといえども頼朝 高覧にして事ならざるを知り、
その仇人を見る時は恨みに堪えずとて、両眼を刳り出し、
日向国・宮崎に下向して彼所(ここ)に生涯を送りしとなん。
藤原景清 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%99%AF%E6%B8%85
オールドゲーマーならご存知であろう「源平討魔伝」の景清さんですね。
58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 00:03:37.34 ID:VFvoqoe90
伊豆国住人、河津三郎 祐安(すけやす)が二男。
安元二年十月、同国・赤沢山の麓に、一族
工藤 祐経(すけつね)の為に父を討たれぬ。
この時、一万、五才なり。
其の後、相模国住人、曾我太郎 祐信(すけのぶ)の為に養われ、
成長して十郎 祐成(すけなり)と改め、弟・五郎時宗と心を合わせ、
不倶戴天の父の仇、工藤祐経を討たんと苫(とま)に寝、盾を枕として
艱難すること十八年。
念力徹心(てっしん)して、建久四年・五月雨下の八日の夜、
井出の仮屋に討ち入り、年来の本望を達し、仁田四郎 忠常がために
同所に於いて命を落とし、其の身を裾野の露と消ゆれど、
名は冨士が根よりいや高く、今も駿河国(判読不能)松風荘に
勝名荒神(しょうめいこうじん)と祭れり。
曾我祐成 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BE%E6%88%91%E7%A5%90%E6%88%90
59:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 00:08:50.47 ID:VFvoqoe90
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【二郎丸/楠木 正儀】
摂・河・和、三国の太守、楠 河内判官 正成(まさしげ)の二男。
父は摂州・湊川に陣没なし、兄・正行(まさつら)は四条縄手に戦死なす。
二郎丸 正儀(まさのり)は、父兄の忠義を受け継ぎて南帝(なんてい)を
吉野の奥に御幸(みゆき)参らせ、足利家の大軍を引き受けて合戦なすに
其の軍法、正成・正行の両将に劣らず、北朝の諸軍勢、これが為に敗れを
取ること数度なり。
嗚呼、南朝に心を尽く人々多かりしといえども、かくの如く
三世忠臣の名を変ぜざる者、楠一家に限らんか。
実に本朝無類の忠孝の家と称すべし。
楠木正儀 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E5%84%80
61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 00:12:45.05 ID:VFvoqoe90
清和天皇 五代、摂津守 頼光(よりみつ)の五代、
源三位 頼政(よりまさ)の五代、左ヱ門尉 国綱の子、
摂津守 資国(すけくに)と言う。
この人、丹波の国・太田の庄に住して代々太田を以って氏(うじ)とす。
鎌倉・惟康親王の将軍たりし時、文永より相州に来たりて西郡・糟谷に居住す。
資国五代・太田備中守 資清(すけきよ)、後、入道して道真(どうしん)と号す。
其の嫡男、太田 源六郎 持資(もちすけ)と名乗る。後に左ヱ門太夫。
入道して法名・道灌(どうかん)。文明十八年丙午、討ち死にす。
太田道灌 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E9%81%93%E7%81%8C
65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 00:26:58.49 ID:VFvoqoe90
viploader.net/jiko/src/vljiko087204.jpg
【鬼若丸/武蔵坊 弁慶】
天津児屋根命(あまつこやねのみこと)の苗裔(びょうえい)、
中関白(なかのかんぱく)・道隆(みちたか)卿の後胤、
熊野別当・弁正(べんしょう)が嫡男なり。
母は二位大納言の姫君なり。弁慶が生まれは弁正が六十一歳の時にして
母の胎内に居ること十八ヶ月にして出産したる。
師匠は叡山(えいざん)の学頭、西塔の観慶(かんけい)阿闍梨(あじゃり)なり。
成長して西塔武蔵坊。父と師匠の名、一字を合わせて弁慶と名乗る。
武蔵坊弁慶 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E5%9D%8A%E5%BC%81%E6%85%B6
お稚児さんの頃から暴れん坊だった弁慶ですが、
↓図のように巨大な人食い鯉を退治するというパワフルさ!
歌川国芳:<鬼若丸の緋鯉退治>
pds.exblog.jp/pds/1/201001/23/01/c0072801_16434596.jpg
66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 00:30:56.54 ID:VFvoqoe90
桓武天皇六代、鎮守府将軍 良兼(よしかね)の孫、村岡五郎 忠道(ただみち)の末孫、
権五郎 景政(かげまさ)四代、太郎 景明(かげあき)の二男、二郎 景弘(かげひろ)、
相州・長尾に住す故、氏とす。
板平氏(ばんへいし)の一人にて、長尾 新六郎 為景(ためかげ)の後裔、
長尾 筑前守 高景(たかかげ)が子、上野介 国景(くにかげ)の二男、
左ヱ門佐 頼景(よりかげ)、其の子 信濃守 重景(しげかげ)、其の子
信濃守 能景(よしかげ)、其の子 六郎 為景(ためかげ)四男なり。
初め喜平次(きへいじ)景虎(かげとら)、
後、弾正少弼(だんじょうひつ)政虎(まさとら)、
又、大弼(たいひつ)藤原輝虎(てるとら)入道謙信。
天正六年 戊寅 三月十三日薨ず。
不識院大僧都(ふしきいんだいそうず)
法印(ほういん)謙信 心交(しんこう)阿闍梨(あじゃり)と号す。
上杉謙信 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E8%AC%99%E4%BF%A1
67:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 00:36:37.78 ID:VFvoqoe90
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【鬼童丸】
叡山(えいざん)の稚児なり。
心猛くして天狗道の術を学びて
遂に市原野の岩窟に住居す。
平 惟時(これとき)、源 頼親(よりちか)、源 頼信(よりのぶ)が
為に生け捕られ、獄舎に鎖を以って繋がれる。
夜に紛れて鎖を切って逃げ去り、また市原野にて頼光(よりみつ)を
待ち構え見顕わされて討たれたる。
鬼童丸 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E7%AB%A5%E4%B8%B8
鬼童丸も前出の将軍太郎・良門同様に江戸の草双紙の中では
烏天狗を使役する召喚師という位置づけ。
なお、妖術使いの袴垂保輔(はかまだれ・やすすけ)との戦いでは
山全体を炎に包んだり、大鷲を召喚するほどの術力を披露してます。
68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 00:38:14.77 ID:qv6R17Ez0
有王ってなんか薄汚いイメージだったんだけど小キレイな感じだな
69:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 00:40:21.77 ID:VFvoqoe90
甲州・百姓の子なり。小児の時より力、人に勝れり。
相撲を取り、成長して曲淵 庄左衛門(しょうざえもん)。
大力無双にして板垣 駿河守 信形(のぶかた)に仕え高名多し。
信形 討ち死にの後、信形の子・弥次郎 信里(のぶさと)反逆あって勘気を蒙る。
庄左衛門、信玄の直参となり、いつの戦場にも先手(さきて)なりける。
【参考リンク】Category[ 曲淵庄左衛門 ] - 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-383.html
さて、それでは皆様お待ちかねの、ちっちゃい男の子のセミヌードですよ!
70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 00:45:08.37 ID:jglQ5JmjO
71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 00:46:20.03 ID:VFvoqoe90
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【韋婆羅鬼童子/茨木童子】
元は民(たみ)の子なり。幼きより乱暴にして豪傑無双の怪力なり。
人の肉を好みて食す。人、恐れて荊(いばら)のごとしとて、
韋婆羅鬼童子(いばらきどうじ)と異名せり。
丹波の国・大江山、酒呑童子の賊下(ぞくか)となりて、
羅生門に出て、往来の人を脅かす。
終(つい)に、渡辺の綱が為に討たうる。
茨木童子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E6%9C%A8%E7%AB%A5%E5%AD%90
日本の鬼の中でも、前出の酒呑童子と並ぶビッグネームといえばこちら。
なんでも一説には、女の鬼と言う話もあるようですが…。
72:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 00:48:37.51 ID:VFvoqoe90
敏達天皇の五代、井出 左大臣 橘諸兄(たちばなのもろえ)公
十四世の後胤、兵衛 正玄(まさよし)の男なり。
其の宅の西辺(さいへん)に楠(くすのき)多し、因って楠を姓とす。
幼名を多聞(たもん)、兵衛・橘の正成(まさしげ)と号して、
贈従三位・左近衛中将 橘正成 卿という。
建武三年 五月二十五日、摂州・湊川にて自殺す。三十五歳なり。
今に坂本村、医王山・法生寺(ほうしょうじ)に言うに正成の像あり。
楠木正成 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E6%88%90
73:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 00:53:35.25 ID:VFvoqoe90
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【阿新丸:くまわかまる/日野 邦光】
大職冠(たいしょくかん)藤原 鎌足 公の二十一代の孫、
正二位・権中納言 日野 俊光(としみつ)卿の男、
藤(とう)中納言・三位 資朝(すけとも)卿の男なり。
父・資朝卿、御陰謀の重臣として肺肝を砕くを露見に及んで
佐渡の国へ配流せられ、元徳二年 五月二十九日、(北条)高時の
命に依って、佐渡の国の守護、本間 山城入道これを害す。
時に息男(そくなん)・国光(くにみつ)十三才にて阿新丸と号す。
父を慕いて其の国に渡り、対顔に及ばずして、父、既に戮(りく)せらる。
父を斬却(ざんきゃく)せし本間三郎を討って帰国す。
後、南朝に仕えて従三位なり。
日野邦光 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%82%A6%E5%85%89
74:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 00:58:41.43 ID:VFvoqoe90
清和天皇より十代、左馬頭 義朝(よしとも)の三男なり。
生年十三歳にて右兵衛佐(うひょうえのすけ)に任ず。
この年、平治元年 十二月、源平の戦い起こり、頼朝初陣して抜群の働きをなす。
待賢門(たいけんもん)の軍(いくさ)破れて、味方ことごとく敗北して、
頼朝、尾張の国へ落ち、その翌年・春、平家へ捕われ、伊豆の国・蛭が小島へ流される。
時を待って二十余年、味方を語らい、治承四年、義兵を起こして
平家一門を滅ぼして多年の蟄懐(しゅっかい)を開きて、
正二位・大納言・右大将、又、日本総追捕使・征夷大将軍となりたもう。
治世二十年、正治元年 薨ず。
源頼朝 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E6%9C%9D
幼少の頼朝といえば「頼朝3歳の髑髏」というのがございまして…。
【(小咄)頼朝のアタマって……: 江戸時代研究の休み時間】
http://takaoyoshiki.cocolog-nifty.com/edojidai/2004/10/post_7.html
75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 01:02:15.21 ID:VFvoqoe90
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【武蔵守 知章/平 知章】
新中納言・知盛(とももり)の子にして、平 相国 清盛の孫なり。
寿永三年 三月、一の谷落城の時、父・知盛、
源氏方の児玉党の軍勢に追われる。
この時、踏み止まりて父を落として
その場を去らず、討ち死にす。時に十五歳なり。
平知章 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%9F%A5%E7%AB%A0
【畠山 小次郎 保忠】
畠山 次郎 重忠(しげただ)が長男なり。
北条時政の室、牧の方の舌こうに掛かり、重忠 在城を幸い、
君に急事ありと早使(そうし)を以って告げたる。
保忠(やすただ)、小具足に身を固め、何の思慮もなく
由比ガ浜まで来たりしところ、四方より鉦鼓(しょうこ)を鳴らして来たる。
保忠、奸計に落入りたり。天命これまでなりと、大軍に駆け向かい勇戦なし、
主臣(しゅしん)三十騎、由比ガ浜に討ち死にす。少年十四才なり。
畠山重保 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%A0%E5%B1%B1%E9%87%8D%E4%BF%9D
76:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 01:07:54.19 ID:VFvoqoe90
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【吉浄丸/大友 能直】
幼童(おさなき)より武勇人に勝れ、
成長して大友 左近将監 能直(よしなお)。頼朝公の小姓なり。
建久四年 五月二十八日夜、曾我兄弟、敵・工藤 左ヱ門を討ち取らんと
頼朝公 御前近くへ乱入す。近臣、これに驚き騒ぐを即知を以って鎮める。
その功、莫大なるによって大名に取り立てらるる。
その子孫、九州に渡りて末世(まっせ)武名 輝かしたる。
大友能直 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E8%83%BD%E7%9B%B4
77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/07(金) 01:11:58.99 ID:VFvoqoe90
享徳年中、管領・成氏(なりうじ)を恨む事ありて、
下総国・多古における時に一族たる馬加(まくわり)陸奥守、原 加賀守等
ことごとく敵となって城を囲んで攻めたつる故、ついに防戦かなわずして、
城外なる阿弥陀堂に入りて
見て嘆き 聞きて弔う 人あらば 我にも手向けよ 南無阿弥陀仏
斯く辞世して堂の柱に書き記し、腹を切って果てしとなん。
生年十五歳なり。
千葉自胤 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E8%87%AA%E8%83%A4
27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/06(木) 22:15:04.31 ID:fsJy8oee0
引用元:江戸時代のショタ本を手に入れたので、解説付きで画像うpする(再)
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