崩壊してた家庭が一人の警備員に救われた話
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4:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 05:40:29.66 ID:jjslbuUz0
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どこから書き始めればいいかわからんが
細かく書くと長くなるからさっくりいきます。
全部の始まりは、自分が小学五年生の時だった。
それなりに裕福で、優しい両親・人気者の兄と照れ屋で賢い妹に囲まれて幸せに暮らしてきた。
何も欠けるものはないと思っていたし、いつまでもずっとこのままみんな仲良く暮らしていけると思っていた。
母親が鬱になった。
予兆なんて何もなかった。
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8:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 05:51:09.94 ID:jjslbuUz0
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家庭の異変に気付いたのは、小学校から帰ってすぐだった。
いつも家で家事をしているはずの母がいなくて、仕事に行っているはずの父がリビングに座っていた。
なんとなくいつもと違う空気を察知して
遊びの約束を断り、兄が高校から帰ってくるのを待った。
兄弟が三人揃い、父の待つリビングへ行くと「お母さんが入院することになった。
これからはお前たちに負担を掛けることが増えると思う。
だけど家族の危機だから、みんなで協力して頑張ろう」とだけ聞かされた。
母が帰ってくるまでの三か月間、自分が妹の学童の送り迎えと家事をすることになった。
病名もなにも聞かされていなかったけど
前々から胃が弱いと言っていたしそのせいかなと楽天的に構えていた。
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12:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 06:01:17.85 ID:jjslbuUz0
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それからの三か月間は、遊びたい盛りの小学五年生には厳しいものだった。
毎朝一番に起きて家族を起こしてまわり、妹と自分のために朝ごはんを用意し、学校が終われば遊びにも行かずに家事をして、母の穴を埋めていった。
遠くの高校に通う兄やまだ小学二年生の妹より格段に負担は大きかったが、父がたまにこっそりおみやげをくれたり
なんだかんだと労ってくれていたので、なんとかやり遂げられたんだと思う。
あっという間に三か月が経ち、何よりも楽しみだった母の退院予定日が近づいてきた
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13:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 06:07:44.81 ID:zdAEGsYf0
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偉いな
お見舞いは行ったのか?
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14:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 06:08:33.61 ID:jjslbuUz0
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そういえばスペックがまだだった。
今書いている話は九年前のこと。
>>1は当時小学五年生。ポケモンに夢中。
兄は五つ年上の当時高校一年生。スラムダンクに夢中。
妹は四つ年下の当時小学一年生。将来の夢はお姫様。
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16:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 06:15:59.41 ID:jjslbuUz0
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帰ってきた母は別人だった。
子供から見ても可愛い、よく笑う優しいお母さんだったのに、
やつれきり、何にも興味がなさそうな目をした暗い人になっていた。
退院前日に父から「お母さんは実は心の風邪をひいてしまった。きっと帰ってすぐには今までどおりにならないと思う。それでも支えあって頑張ろう」と言われていたが
一目あった瞬間から心が折れそうだった。
そしてここから地獄の日々が始まる。
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18:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 06:22:51.61 ID:jjslbuUz0
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母が帰ってきて一週間は本当に楽しかった。
家に帰れば母がいて、妹と楽しそうにしゃべってる。父も早く帰ってきて母をいたわってる。
兄は部活が忙しくてあまり家にいなかったけど、三か月ぶりに家族全員が集まる食卓は夢のように幸せだった。
きっと家事という負担がなくなったっていうのも大きかったんだと思う。
でも一週間が過ぎたころから、深夜の物音で目が覚めるようになった。
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22:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 06:29:30.77 ID:PahRRiXGO
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ネタスレかと思いきやシリアスだな
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23:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 06:30:39.74 ID:jjslbuUz0
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こっそり部屋を抜け出して様子を見に行くと、父と母が喧嘩をしていた。
今まで両親の喧嘩を一度も見たことがなかったから怖くて不安で、気づいたらその場で立ち尽くして大泣きしていた。
そこで自分の存在に気づいた両親はいったん喧嘩を辞めて自分を部屋に寝かしつけたけど、それからも毎晩喧嘩は続いた。だんだん言い合いだったのが怒鳴りあいになり、物が割れる音が加わり、ドシッていう人が倒れるような音もするようになった。
警察にも何度か厄介になっていたようだった。
夜は眠れなくなり、ただ物音がやむのを待ってから目を瞑るような生活がしばらく続いた。
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25:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 06:35:41.31 ID:QAWGAG/R0
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ゆっくりでいいぞ。
詳しく語ってくれ
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26:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 06:38:09.70 ID:PahRRiXGO
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そうだよ、ゆっくりじっくり頼む
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27:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 06:38:19.69 ID:jjslbuUz0
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自分は母が病気になったせいで家族が不仲になっていくのが許せなかった。
父はいつも疲れたような表情でイライラを表に出すようになったし、兄は部活にかこつけて益々家に寄り付かなくなった。
妹は空気のように存在を消していた。当時の妹の印象は一切といっていいほどない。
まだ七歳かそこらの子には辛すぎる現実だったと思う。
それからは車で三十分程度の場所に住んでいる母方の祖母の家に預けられることも多くなり、妹は妹で小学校の同級生の家へ半ば保護という形で預けられていた。
家へは帰りたくなかった。家は戦場だった。
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28:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 06:46:24.08 ID:jjslbuUz0
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自分はどんどん冷めた子供になっていった。
両親の喧嘩を見ても、同級生の話を聞いていても無感動だった。
妹も同じだったと思う。完全に感情が死んでいた。
そんな生活を送る中、母は何度か強制的に入院させられていた。
母が入院すると、私たち兄弟は呼び戻されてまた父と暮らす日々を送る。
最初はそれがうれしくて、喧嘩がないってなんていいことなんだ、もうお父さんたちは離婚しちゃえばいいんだ、なんて子供心に思ったりもしていた。
だけど一年以上続いたそんな生活に、違和感を覚えるようになった。
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29:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 06:54:13.43 ID:jjslbuUz0
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最初のきっかけははっきりとは覚えていない。
けれど、母から何度も「お父さんに嫌なことされてない?」「何かされたら、ノートに書き留めておくんだよ」と聞かされていた。
当時はもう母親のことを基地外としか思っていなくて、またなんか言ってるよ、はいはいわかったよー、てな調子で聞き流していた。
父からそうするようにと言われていた。
お母さんは今心の風邪で物事を正常に考えられないんだよ。
だからああやって訳のわからないことをいうんだ。
信じちゃいけないし、何か言われたらお父さんに報告するんだよ、と。
自分は父に洗脳されていた。
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30:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 06:58:05.94 ID:QAWGAG/R0
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なんか辛いな
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32:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 07:09:51.61 ID:jjslbuUz0
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母が病気だというのは知っていたけど、何が引き金になったのかは知らなかった。
数年たって母から聞いた話と、当時の記憶をすり合わせると、父は昔からかなり頑固で四角四面な完璧主義者だった。
家では自分の理想の父親を演じ、自分の理想通りの家庭を築いた。
背景には、父自身の家庭があまり温かいものでなかったからという理由があったから
うまく行かないことは強引に捻じ曲げて、そのしわ寄せは全部母にいっていた。
父の求める完璧な理想の家庭が完成してしばらく経ち、兄が高校生になった時。
従順だった兄が初めて反抗的な態度をとった。らしい。
父はそれを受け入れられなかった。
今まですべて上手くいっていたのに兄がぶち壊したと感じたそうだ。
父は兄を家から追い出した。
自分はその顛末を知らなかった。
思い返せばあの時期からいつも兄は真夜中に帰ってきて朝早く学校に行っていた。
まったくと言っていいほど顔を合せなかった。
部活が忙しいという父の言葉を信じていた。
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33:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 07:14:02.74 ID:8XDGKDHG0
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なんか怖い
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34:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 07:15:24.20 ID:DpEanoRT0
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うわぁ…
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35: 忍法帖【Lv=6,xxxP】 !:2012/02/03(金) 07:16:16.97 ID:tV933q710
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理想を子供に押し付けちゃあダメだよね。大人のエゴは怖いねぇ・・・
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38:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 07:17:51.75 ID:jjslbuUz0
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当然母は兄をかばう。高校生なんだから、反抗期なんだからって。
それが父には気に入らなかった。毎晩のように理詰めで母を責め、兄をいじめた。
その反面、表面的には誰もが羨む理想の家庭を演じ続けた。何も知らない自分や妹の前でも。
反抗的な兄の態度・父からの攻撃・世間体、いろんなものにのしかかられて、母は壊れた。
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39:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 07:27:48.65 ID:jjslbuUz0
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すべてを知った時は、ただただ茫然とした。ショックだった。
大好きな家族のために、お母さんが治るまでみんなで頑張ろうと思っていたのに、
どんなに辛くてもたったひとつの心の支えだった大好きな家族さえ、作り物だった。
ここまで読んでからもう一度、このスレを最初から読み直してみてほしい。
どれだけ気持ちの悪い、どれだけゆがんだ家庭だったか、少しリアルに感じてもらえると思う。
ちょっと一服してくる。
読んでくれてありがとう。
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40:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 07:31:33.86 ID:QAWGAG/R0
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すべてを知った時って母が病気になってどれくらいしてから?
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41:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 07:35:18.75 ID:jjslbuUz0
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>>40
細かいところまで全部知ったのは五年前くらい。
感付き始めたのは中学一年生の頃。
母の入院時に兄弟を呼び戻してたのは、世間体もあるけど家政婦代わりに使うため。
父はそういう人だった。
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42:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 07:44:59.30 ID:jjslbuUz0
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自分は中学生になってから、いじめられて不登校になった。
何をするにも冷めていて面白味のない子供だったし、当然だと思う。
ここでいうのもあれだが自分は女。女のいじめはとにかく陰湿だった。
こんなレベルの低いこと巻き込まれて精神をすり減らすくらいなら学校なんて行かないほうがいいと勝手に判断した。
もちろん世間体を気にする父には兄同様見捨てられた。
まあそれはいいとして、こんなごちゃごちゃした生活を中学三年生まで続け、気付いたら両親は離婚していて、気付いたらボロアパートに引っ越していた。
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43:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 07:55:17.51 ID:jjslbuUz0
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その時点で母に引き取られたのは私(中三)と妹(小五)。
兄は高校一年の時からバイトをしながら一人暮らし。
父と離婚してすぐ母の病気が治るはずもなく、慰謝料も養育費ももらえなかったので生活保護になった。
学校に行っていない以上手伝えることはなんでもした。
家から離れた小学校に通う妹を迎えに行くのも私の仕事だった。
ある日、妹を学校まで迎えに行こうとバスに乗っていると、
近所の公園のベンチで妹らしき女の子とおっさんが何やら話し込んでいるのが見えた
その日妹は、待ち合わせより少し遅れてバス停までやってきた。
おっさんはいなかったけど、知らない人にはついていかないように言い聞かせてその日は帰った。
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44:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 07:58:03.36 ID:QAWGAG/R0
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てっきり男だと思い込んでいた・・・・。
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49:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 08:03:40.86 ID:jjslbuUz0
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>>44
な、なんとなく女ってあんまり言わない方がいいのかと・・・
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46:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 08:00:24.04 ID:jjslbuUz0
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数日もするとそんなことも忘れて、いつも通り家事をしたり勉強をしながら過ごしていると、
母が「今度の日曜日あいてる?お友達とご飯にいくんだけど」と言ってきた。
友達もいない、特に予定のない私は「いくいくー」とだけ返事をして部屋に戻った。
約束の日曜日、待ち合わせ場所にいたのはあのとき公園にいたおっさんだった。
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48:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 08:02:56.52 ID:/lp0Gwri0
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お前さお見舞いとか行ってたの?
退院した母を見てやつれてたとかありえるのか
兄と父親の喧嘩も知らなかったとでも?
鈍感すぎじゃん
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50:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 08:04:22.45 ID:atXcC6650
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>>48
小5なら親が全ての年頃だろ
酷な事言うなよ
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52:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 08:17:47.30 ID:jjslbuUz0
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>>48
詳しくは自分も知らないけど、精神科の入院って色々種類があるんだよ。
うちの母はとにかく父から隔離しなきゃいけなかったし自傷もひどかったから措置入院で面会もできなかった。
鈍感と言われたらそれまでだけど、母が入院するまでは本当に幸せな家庭だった。
特に詳しい紹介もされないままに昼食を一緒に食べたけど、
正直妹と一緒にいたあのおっさんってだけで私は警戒心むき出しだった。
見た目もお世辞には素敵とは言えなくて、日に焼けたカマキリのような顔だなあ、と心の中で思っていた。
ただ、私たちの過去や現在の状況をいろいろ聞いてくれて、誰にも相談なんてできなかったことだったからすごく心が軽くなったのを覚えている。
食事を終えるころにはなんていい人なんだろう
またあいたいな、なんて思うほどだった。
そして帰り際、食事中ずっと聞き役に徹してくれていたおっさんが、
「1ちゃん。おじさん、1ちゃんちの近くに引っ越してもいいかなあ?」と言った。
一も二もなく賛成した。60歳の友達ができた。
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54:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 08:33:00.83 ID:jjslbuUz0
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おっさんは、妹の小学校の近くの工事現場の警備員だった。
遊んでくれるし、宿題も教えてくれるし、ジュースも買ってくれるし、子供たちの人気者らしい。
うるさい盛りの子供たちの中で、一人だけ静かで全然笑わない妹が気になって、学校帰りに相談を聞いてくれたらしい。
それが私がバスの中で見た公園での出来事ね。
妹は、お母さんがうつ病になっちゃって、離婚して家族がばらばらになった。
またみんなと暮らしたいけどもうできないから辛い。でも仕方のないことなんだ。
みたいなことを話したらしい。
実はおっさんもうつ病経験者で、元は結構な会社の偉い人だった。
知ったのはずいぶん後になってからだけど。
家族も何も捨てて一人っきりで生きてたおっさんには妹がどうしても放っておけなくて、たまたま妹を迎えにきたお母さんと話しをしたら、酒好きってことで意気投合!娘もう一人いるから紹介するよ!って流れだったらしい。
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53:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 08:27:24.27 ID:e3bjef+L0
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幸せになる展開になりますよーに
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55: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/02/03(金) 08:47:58.49 ID:UAK8P1JH0
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警戒したが、おっさんすげーいいやつじゃん
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56:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 08:48:24.25 ID:jjslbuUz0
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「引っ越してもいいかなあ?」の言葉は冗談半分に受け止めてたけど、おっさんは本当に引っ越してきた。
最初に会ってからひと月も経ってなかったからびっくりしたけど、今まで警備員の会社の寮に間借りしてたからさっさと引っ越せたようだった。
私たちの家から徒歩十分、駅から徒歩一分くらいのちいさなアパートだったけど、
おっさんは「いつでも遊びに来ていいんだよ。ご飯も食べにおいで」と言ってみんなに合鍵をくれた。
怪しいなとか、だまされるとか、そんなこと一切考えなかった。
善意だけで自分を犠牲にできる人って本当にいるんだって、本当に本当に感動した。
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57:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 08:54:59.09 ID:atXcC6650
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>>56
横やりゴメン
善意だけ ってのは違う気がする
妹さんの相談相手になる事で
過去の自分に向き合ってたんじゃね?
その事は悪いとは思わないけど
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60:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 09:14:11.72 ID:jjslbuUz0
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>>57
そうか。当時というか今もだけど、善意だけでいてくれてるんだと思ってた。
確かにそうだったのかもしれない。気付かせてくれてありがとう!
おっさんが来てくれて気持ちに余裕ができた私は、高校受験を決めた。
といっても、近所の高校の定時制。不登校でも毎日勉強していた私は難なく受かり、
晴れて高校生になった。妹も小学六年生になった。
お金がない我が家に代わり、進学に必要なものはすべておっさんが揃えてくれた。
高校生になってからも、おっさんと私たちの生活は続いた。
一つ変わったことは、お米も研げなかったおっさんが料理を作れるようになったこと
うつで料理を作れなくなった母に代わって、私たちに毎日手料理を作ってくれた。
私が好きだと言ったら、それから毎日エビチリを作るようになってちょっと笑った。
エビチリにはピーマンを入れるのがおっさん流です。
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58:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 09:01:43.60 ID:jjslbuUz0
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本当に遠慮がなかったと思うけど、私たちはその日からおっさんの家に入り浸った。
おっさんがいないときすらおっさんの家にいた。
みんなで食卓を囲って、家族のように過ごした。
お母さんの体調が不安定になったのをきっかけに、おっさんは一日拘束の警備員の仕事を辞めた。
そして、早朝から昼過ぎまでの大学の清掃員になった。
うつ病って眠れなくなるから生活リズムが夜に傾きがちなんだけど、それを理解してるおっさんは
母が不安にならないように、母が起きてる間中ずっと一緒にいてくれた。
正直15歳の私に重度のうつ病の母の世話は重荷だったところがあったから本当に助かった。今でも感謝してもしきれない。
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61:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 09:21:48.38 ID:z0i/XhF60
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例え全てが善意ではなかったとしても
相手にとって善意だと思ってもらえたら
それはやはり善意と解釈しても問題はないだろうよ
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63:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 09:24:40.82 ID:jjslbuUz0
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それと、おっさんはとても物知りだった。
普段からおしゃべりで明るくて面白いおっさんだけど、
大好きなお酒を飲むとそれはもう大変うざいおっさんに変貌した。
自分が出た慶応大学の話から始まり、野球の話、ラグビーの話、日本史、歴史、海外生活も長かったから英語の大切さ。
自慢の三人の息子の話なんて特に長かった。
いい加減聞き飽きたしその話百回聞いたよ!なんて軽口をたたきながら
本当に幸せに暮らした。昔みたいに作りものじゃない、本当に本物の温かい家庭を作ってくれた。
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64:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 09:32:33.70 ID:NnPSWJRb0
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本物の警備員だった…
てっきり自宅警備員のことかと>スレタイ
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65:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 09:33:34.64 ID:PahRRiXGO
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>>64
おまおれ
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66:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 09:38:21.95 ID:jjslbuUz0
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高校生活も楽しかった。
元々集団行動が苦手な私だったけど、定時制ってことでやっぱり何かしら事情を抱えた子が多くて、いじめだとかそんなバカらしいことをする人もいなかったし、一生付き合える大切な友達にも出会えた。
おっさんもお母さんも私に友達がいないことを知っていたから、本当に喜んでくれた
友達なんていなくたって変わらないってずっと思ってたけど、 私の過去を話したら泣きながら抱きしめてくれた子に出会ってから、本当に世界が変わった。
すごく楽しかったけど、私は学校というシステムが大嫌いだった。
素敵な先生にもたくさん出会えたけど、先生という職業がきらいだった。
学校という建物に行くことがどうしても苦痛だった。
中学時代のいじめなんてなんとも思ってないふりをしていたけれど、やっぱり傷付いていたし、トラウマだった。
正直に話したら、おっさんも母も納得してくれた。
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67:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 09:45:50.43 ID:jjslbuUz0
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二年目の夏、私は高校を辞めた。
私には元々憧れてた職業があって、高校卒業後は専門の養成学校的なところへ通おうと思っていた。
本当に行き当たりばったりだけど、高校を辞めてから今から入れる養成学校を探した
ひとつだけ見つかったけど、受験資格は経験者のみだった。
どうせ落ちるだろうから、来年の試験のリハーサルのつもりで軽い気持ちで受けた。
受かった。
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69:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 09:54:21.60 ID:jjslbuUz0
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もうその日は軽いお祭り騒ぎだった。
おっさんもお母さんも大喜びでワインやらビールやら用意してきて乾杯だ!とか言ってたけど、私未成年・・・とか思ってちょっと引いてた。
でも本当のお父さんにメールで報告しても「そうか」って返ってきただけだったから、こうやってバカみたいに喜んでくれて本当にうれしかった。これから頑張ろうって思った。
おっさんも「大変かもしれないけど、1ちゃんがやりたいことなら全力で頑張れ!おっさんができることならなんでもする!」って言ってくれた。
そのあと私は無事に養成学校を修了し
二十歳になった今もその仕事を続けています。
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68:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 09:54:06.63 ID:6/pzL0lBO
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てか出会った時、おっさん60歳だろ?
すぐにでも年金暮らしだっていうのに>>1とか
妹とか母親の世話してくれたなぁ…不思議だわ
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71:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 09:55:25.81 ID:46mLtBoBO
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>>68
会社のお偉いさんだったから貯蓄があったんじゃね?
1じゃないけど
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72:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 10:05:53.28 ID:jjslbuUz0
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>>68
元々きちんとした会社の人だったし、
私たちと出会った時点で多少の蓄えがあったらしい。
詳しいお金の話は聞いてないから分からないけれど。
学校に通っていたら高校三年生の年の四月からその仕事が始まって、急激に寒くなってきた十月頃から、 新しい仕事が入ってきたり、仲間のスケジュールがなかなか合わなかったりで泊まり作業が多くなっていた。
十一月のある日の昼過ぎ、しばらく帰っていなかったおっさんの家から電話がかかってきた。
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73:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 10:21:50.84 ID:jjslbuUz0
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電話口にいたのは、母だった。
「1ちゃん、落ち着いて聞いてね。おっさんね、食道がんが見つかったの。
ステージ4って言ってね、もう末期なんだって。今日から入院することになったから、時間見つけて帰ってきてね。」
そう沈んだ声で言った。
電話を切ってからすぐに家に帰る支度をした。
家に向かう電車の中で、「食道がん ステージ4」と検索した。
頭がからっぽなのに涙がぼろぼろ出てきて、ろくに文字も読めなかった。
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75:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 10:37:31.19 ID:jjslbuUz0
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思えば前兆なんていくらでもあった。
数か月前から「最近飲み込み辛いんだ」っていいながら、ご飯を酒で流し込んでた。
大酒飲みのタバコ好きなんだから、いい加減にしときなよーなんていいながら笑ったりもしてた。
ぼそっと「多分おっさんがんだと思う」とかも言っていた。
そのたびに、バカなこと言わないで!もし本当にそうなんだったら早く病院に行って!って怒ってた。
お母さんの病院には毎週付き添うのに、自分の病院だけはかたくなに行かなかった。
多分、本当はわかってたんだと思う。
だけど、おっさんは私たちに心配を掛けないために無理して頑張ってたんだと思う。
だってがんだよ、末期だよ、辛くないわけないじゃん
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76:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 10:45:48.84 ID:jjslbuUz0
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宣告を受けた日からおっさんの入院生活が始まった。
ソースの味が大好きなおっさんが、味気のない病院食ばかりで文句を言ってるってお母さんが毎日言ってた。
大好物のカツ丼早く食べようね!って励ましながら、母とおっさんの二人三脚の闘病生活だった。
どんどん食道が細くなってどんどん物が食べられなくなるおっさん。
自分の体調が悪い日でも、朝から晩まで毎日見舞いに行く母。
何度もお見舞いに行くって言ったけど、その度におっさんに断られた。
「そんな暇があるなら仕事をがんばりなさい!」って言われ続けた。
おっさんは、やせ細った自分を母以外には絶対に見せなかった。
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77:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 10:49:14.20 ID:6/pzL0lBO
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てか母親とおっさんの関係は?
母親ニートで、毎日お見舞い行ってたの?
おっさんに養ってもらってたの?
ゆっくりでいいから教えて
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80:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 11:00:02.11 ID:jjslbuUz0
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>>78
母は鬱で生活保護です。
でも、おっさんのがんが発覚する半年くらい前に「手に職をつけられるように」って
おっさんにマッサージの学校?に通わせてもらって資格取ってた。
それで、知り合いとかに細々と施術して少々お金を頂いてってしながら毎日お見舞いしてたよ。
ちょっと深呼吸してきます。
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79:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 10:54:21.68 ID:jjslbuUz0
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仕方がないから手紙を書いた。
内容はありきたりなものだったと思う。
「早く治しておうち帰ってきてね!カツ丼作って待ってるね!」とかそんなん。
それでもおっさんはすごく喜んでくれたみたいで、毎日読んでるんだよ、とか母がこっそり教えてくれた。
数か月もするうちに、おっさんはいよいよ物が食べられなくなってきた。
東ハトのハーベストってお菓子あるでしょ。あれを口の中で溶かして
今日は一枚食べられたんだよ、とかそんな程度。
もう手術もできなくて、ご飯も食べられなくて、痛み止めを渡すくらいしか手の施しようがないんですって病院に言われたりもしたらしい。
おっさんは栄養を入れる点滴を嫌がるから、もう本当に病院でできることなんてなにもなかった。
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82:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 11:06:24.10 ID:jjslbuUz0
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何週間も飲まず食わずで、
最初に会ったときは日に焼けたカマキリに見えたおっさんも、すっかり干からびたカマキリみたいだった。
もう病院にいて何も出来ないのなら、家に連れ帰る!と母が病院でいうとアッサリ許可が出たらしい。
もうほんとうにやることなかったんだね。
入院したのが11月の上旬だったかな。
退院したのは8月2日。半年以上も辛い病院生活に耐え抜いたおっさんが、ようやく家に帰ってきた。
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83:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 11:06:52.41 ID:svQBfB8vP
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おっさん…
目から水が
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85:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 11:13:28.67 ID:jjslbuUz0
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おっさんが帰ってくる日、一番に会いたくて仕事を休んだ。
朝からおっさんのちいさなアパートで待っていて、ちょっとうとうとしかけた昼過ぎに病院用のタクシーで帰ってきた。
おっさんはもう歩けなかった。
ストレッチャーみたいなのに乗せられたまま、薄っぺらい体で帰ってきた。
すっごく悲しくて、鼻の奥が痛くて涙が出そうだったけど、無理やり元気に「おっさんおかえりー!!」って言ったら
蚊の鳴くような声で「1ちゃ~ん」って言ってくれた。
そのあとおっさんはすぐ寝ちゃってつまらなかったけど、お母さんからおっさんの病状を聞いた。
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86:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 11:23:16.30 ID:jjslbuUz0
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おっさんは、一週間生きられたら奇跡だと宣告されていた。
今日死んでも全然おかしくないって。
全然理解できなくてその場では「そっか」って言ったけど、頭の中は?でいっぱいだった。
だってさっき在宅ホスピスの先生と、
先「おっさん、何かやりたいことない?」
お「まだ半分・・・やり残したことが・・・」
先「えっ半分てなになにー?」
お「1000人の女性と・・・経験したかった・・」
先「1000人?!てか500人やったのすげー!これから1ちゃん達に出かけてもらって女の子呼ぶ?」
とか馬鹿話してたんだよ。死ぬ間際に何やってんだよあのバカおっさん・・・
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88:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 11:31:09.03 ID:jjslbuUz0
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全部の在宅ホスピスがそうかは分からないけど、おっさんを診てくれた先生たちは、
患者にしっかり死期を伝えて悔いを残さないでもらいたいって考えだった。
だから病院で禁止されてた酒もタバコも味濃いものもみーんないいよ!大丈夫だよ!って言ってくれた。
もう飲み込めないけど、大好きなお酒もセブンスターのソフトパックもカツ丼も全部用意した!
疲れてそうだったし、もういいよーって嫌がってたけど、満更でもない笑顔だった。
おっさんが笑ってくれてようやく家族がそろった気がした。
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92:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 11:40:06.33 ID:jjslbuUz0
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おっさんは友達が多かった。
見栄っ張りだしかっこつけだから、自分が弱ってるとこ見せたがらなかったけど、
お母さんが勝手におっさんの知り合いみんなに連絡して来てもらってた。
案の定おっさんは誰にも病気のこと話してなくてみんなびっくりしてたけど、 すぐに飛んできてくれる人ばっかりだった。
食べきれないくらい、しまいきれないくらい沢山のお見舞いも頂いて、ああ、やっぱりおっさんはいい人だったんだなって感じた。
一番うれしかったのは、お客さんが来るたびに私を呼んで
「うちの娘なんです、かわいいでしょう?いい子でしょう?」って言ってくれたこと
お母さんとおっさんは籍を入れてなかった。
ずっと一緒に過ごしてきたけど、思春期の娘二人のことを考慮してくれてたらしい。
こんなことになるなら結婚してくれてれば、おっさんじゃなくてお父さんって呼んでたのかな。
や、やっぱおっさんって呼び続けてただろうな
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94:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 11:56:53.29 ID:jjslbuUz0
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帰ってきてから2、3日はおっさんも元気だった。
3日目の夕方、お母さんが用事で出かける間、おっさんと二人きりになった。
ずっと、おっさんが帰ってきてふたりきりになったら言おうと思っていたことがあった。
私がまだ高校に通っていた頃、小さなことでもいちいち反発していた私に、おっさんが一度だけ大きな声を出したことがあった。
内容なんて何も覚えてないけど、とにかくおっさんに叱られたことがショックでびっくりして
反射的に「おっさんなんてだいっきらい!」って叫んで家を飛び出したことがあった。
それを謝っていないことがずっと気掛かりで、昔のことを掘り返すのは照れ臭かったけど今しかないと思って勇気を出した。
1「おっさん、黙って聞いてほしいんだけどね。
私一昨年くらいにおっさんのこと大嫌いっていったでしょ。
ほんとにごめんね。あれね、嘘だからね。」
お「もういい、もういい」
1「ほんとはおっさんのこと大好きなんだよ。ほんとに大好きだよ」
お「好きとか嫌いとか、簡単に口に出すんじゃない!」
今まで蚊の鳴くような声でしか喋らなかったおっさんが、急に大きな声を出した。
それが元気な時の声と一緒だったから、入院中とか、我慢してたのが全部堰を切ったみたいに溢れてきて、おっさんの手を握りしめながら大泣きした。おっさんは嫌がらずに、泣き止むまで手を揺らしてくれていた。
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96:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 12:03:33.96 ID:jjslbuUz0
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その日の夜、おっさんは痛みに耐えられなくなって痛み止めを限界まで増やした。モルヒネね。
次の朝目が覚めておっさんに挨拶しに行ったら、おっさんの目の焦点が合ってなくて、口が開きっぱなしになってた。
一晩でこんなになるんだ、麻薬って恐ろしいものなんだって思ったのと同時に
ここまでしないと耐えられないがんの痛みというものが怖くなった。
先生に、いよいよです。って言われた。
心の準備をしてください、と。
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97:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 12:16:09.19 ID:jjslbuUz0
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おっさんが帰ってきてから、おっさんとお母さんと私はずっと三人で一緒に寝てた。
4日目、急におっさんが死ぬことが怖くなった。
なんでかわからないけど、急におっさんに会うのも怖くなって、
その日一日一緒にいたけど目だけ避けてるような変な態度を取ってしまった。
いつもは誰より遅くまで起きてるのに、その日に限って私は22時くらいに寝てしまった。
8月7日の0時過ぎ、隣の母の声で目が覚めた。
母「おっさん、おっさん」
何事かと思って母を見ると、おっさんを抱きかかえて話しかけてる。
おっさんからは、いつもの寝息みたいな息の音がしてる。
母に近寄ってどうしたの?と話しかけた瞬間、コクリ、と舟を漕いだみたいに頭が揺らいで、おっさんの息の音がしなくなった。
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99:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 12:24:37.84 ID:jjslbuUz0
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母は一生懸命脈を探してたけど、私はそれを止めた。
二人で泣きながらご苦労様と言った。
その日は、20年以上も連絡を取っていなかった
おっさんの自慢の長男がお嫁さんを連れて海外から帰ってくる日だった。
おっさんは息子しかいなかったから、私たちのことも大事に可愛がってくれたけどお嫁さんのことを、娘が出来た、早く会ってみたいって入院中からずっと騒いでたそうだ。
会えなかったのは残念だけど、ここまで持って本当にすごいね!よくがんばったね!ってみんなで褒めた。
最初にがんが見つかった時点で、もっとずっと短い余命を宣告されてたとその時知った。
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100:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 12:41:35.92 ID:W4mJb3f00
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おいついた。
なんて優しいおっさん…。
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101:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 12:42:39.05 ID:NqkAh7NaO
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ちんこから手を離しパンツの中にそっとしまいました。
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102:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 12:51:42.31 ID:jjslbuUz0
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私は、おっさんのことを本当に尊敬してる。
人を見た目や肩書、年齢なんかで判断しないで、その人の内面と向き合ってくれるおっさん。
いつも自信があって、正直で、誰にでも優しいおっさん。
どんなに失敗しても、どんなに悪い子でも、絶対に見捨てないで傍にいてくれたおっさん。
赤の他人を、身内同然に愛してくれたおっさん。
一緒にいた時間はたった四年間だったけれど、このたった四年で本当に私の人生が180度変わりました。
人の人生を変えるきっかけなんて、本当に小さなことなんだと思います。
現に私たち家族が救われたきっかけは、小学生の妹が工事現場の警備員さんに挨拶をしたことから。
もし妹が警備員さんと出会っていなければ、今の私たちはいません。断言できます。
正直なんで今日急におっさんの話を書こうと思ったのかわからない。
寝ようと思ってパソコンを閉じようとしていたところだったんだ。
だけど、もしかしておっさんがパソコンの向こうの誰かに自分の存在を知らせたいのかな?って思ったら止められなかった。
長々とお付き合いいただいた方、本当にありがとうございました。
スレ立てるの初めてだったから緊張したけど、皆さんの優しい励ましの言葉で最後まで書ききることができました。
文章書くの苦手だからところどころ読みづらいところやタイプミス等々あったと思いますが・・・最後までありがとうございました。
もし、なにか質問とかあったら答えます!
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103:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 12:53:13.89 ID:+Lc8iPUa0
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素敵な話をありがとう。
ところで、お兄さんは今どうしてるの?
同い年っぽいので気になって…。
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106:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 13:13:43.28 ID:jjslbuUz0
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>>103
兄は今度の誕生日で25歳になります。
話の当時の高校は父に辞めさせられて、そこから一人でアルバイトをして生活費と学費を稼ぎながら高校を卒業し、
今度の三月で大学も卒業します。就職も決まりました!
どこかで兄に会ったら、仲よくしてくださいね。
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104:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 12:54:44.58 ID:NqkAh7NaO
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お母さんや妹さんは立ち直りましたか?
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106:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 13:13:43.28 ID:jjslbuUz0
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>>104
母はいまもまだうつ病ですが、当時よりもずっとよくなりました。
マッサージの仕事も続けています。
妹は今年中学を卒業して高校生になります。
かわいくて優しい、本当に自慢の妹に育ちました。
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105:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 12:57:13.05 ID:YVcg6RVjO
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おっさんと1ありがとう。関係ない自分もこの話を知れてよかった。
おっさんの家族とは会えたのかな?
葬儀の連絡とか
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106:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 13:13:43.28 ID:jjslbuUz0
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>>105
最後まで読んでくださってありがとうございました。
おっさんの家族、奥様とはお会いできなかったですが、
おっさんのお姉さんと従兄弟の方々、自慢の三人の息子さんにはお会いできました。
葬儀にも参列してもらえたので、おっさんもよろこんでると思います!
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107:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 13:19:31.35 ID:eJ4qNw5W0
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>>1は今何やってんの?
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108:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 13:25:32.41 ID:jjslbuUz0
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>>107
1は今も話の当時の仕事+アルバイトを続けています。
本業の方は専門的なのと、人口が少ないので詳しくいうと特定できちゃうのでご容赦ください!
来年までの目標は、この仕事だけで食べていくことです!
ものすごく余談なのですが。
わたしがおっさんと最後に交わした言葉は、「仕事いってくるねー」「がんばってこい!」でした。
まさかこんなにすぐに亡くなると思っていなかったので仕事を詰めていたのですが、
おっさんが亡くなって、お葬式の日。私にはその日から新しい仕事が入っていました
本当は休んで葬儀に参列したかったのですが、最後の会話を知っている母に
「多分おっさんは自分のお葬式で1ちゃんが仕事休んだらおこると思うよ」と言われ、泣く泣く現場に行ったのです。
今私は、その日その現場で出会ったおっさん似の優しい男性とお付き合いしています。私が忘れてても、おっさんの遺影にご飯を供えてくれる優しい人です。
都合がいいかもしれないけれど、きっとおっさんが出会わせてくれたんだと思うので、大切にしていこうと思っています。
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113:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 13:50:38.17 ID:FtzXcFF40
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自分、仕事柄子ども達と接する機会が多いのだけど、このスレ読んでいて、あの子達が毎日を何事も無く暮らせている事がどんだけ幸せでありがたい事か、いつか知ってほしいなと思った。
1、末長く幸せに!
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114:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 14:02:52.67 ID:jjslbuUz0
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>>113
何もない平凡な毎日が一番の幸せってことがわかるのはきっと大人になってからだと思うけど、仕事とはいえあなたみたいに赤の他人である自分の幸せを祈ってくれる人がいることがどれだけ素晴らしいことか、その子たちがいつの日か気付いてくれるといいな。
お仕事がんばってください!私に子供ができたらぜひよろしくお願いします!
そろそろ私もお暇しようと思います。
読んでくださった皆さんに、いいことがたくさんありますように!
本当にどうもありがとうございました!
あ、警備員さんを見かけたら「ご苦労様」の一言でもいいから声かけてあげてください。
それだけで作業のモチベーションがぐーんとあがるそうです!(おっさん談)
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115:名も無き被検体774号+:2012/02/03(金) 14:10:09.99 ID:e3bjef+L0
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素晴らしい話ありがとう
希望が持てる
>>1幸せになってね
おっさんも幸せ願ってるよ
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