1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:02:31.94 ID:5STeCIXsi
4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:03:48.51 ID:H3ti/Ap50
2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:03:15.50 ID:+PxkNwT70
10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:08:23.82 ID:5STeCIXsi
16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:11:16.86 ID:tCsFyTbI0
5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:03:59.40 ID:jQZJlmoi0
8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:06:33.61 ID:5STeCIXsi
あまり有名じゃないのかな
内容:
家族6人で楽しく暮らしていた林一家。明るくすこやかな毎日は、これからもずっと続いていくはずだった。ところがある日、空から火の玉が降ってきて…。米軍機墜落事故の被災者の物語を通して、平和とは何かを考える。
作者コメント:
この本をまとめようと思い立ったのは、1977年9月の米軍機墜落事件で炎に焼かれたユー君とヤス君の、幼い2人の死を、どうしても、忘れることができなかったからです。日米共同による戦争準備が、「有事立法」という名で、国会に登場しだしたのも、墜落事件1年目を間近にした夏のさかりのことでした。私は、親しい詩人門倉訣と2人で力をあわせて、決して平和でないこの国の現実を子どもたちに、そして父母のみなさんに知ってもらえたら…と考えました。
3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:03:43.73 ID:r97N/XoJO
17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:11:56.53 ID:tCsFyTbI0
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8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:06:33.61 ID:5STeCIXsi
パパママ・バイバイ
横浜市緑区(現在の青葉区)の米軍機墜落事件<1977年>
1,ジェット機が落ちてくるぞ
この事件が発生したのは、1977年(昭和52年)9月27日の事ですから、今からちょうど35年前の事になります。
横浜の中心部から北西に15キロメートル程離れた荏田(えだ)町。
国道246号線と東名高速道路が交差し、丘や山が崩され大型の宅地造成が進み、高層のマンションが立ち並びつつある地域でした。
午後1時17分頃、米海軍厚木基地を離陸した米海兵隊所属RF-4Bファントムジェット機が相模湾沖を航行中の空母「ミッドウェー」に向かう途中、エンジン火災を起こし、荏田町の宅地造成地に墜落したのです。
墜落地点から2kmほど手前の横浜市立鉄(くろがね)小学校では運動会が行われていましたが、校舎の屋上をかすめて火炎と黒煙を上げながら墜落していくジェット機を生徒も父母も目撃し運動会が中断してしまいました。
そして、轟音とともに黒煙が山の向こうに立ち上がったのです。
2,助けを求める人たち
墜落地点一帯は全長19メートル、重量26トンの機体と大量のジェット燃料が飛散し、付近の公園と民家を飲み込んで一瞬にして火の海になってしまいました。
炎上する家の中から、火がついた衣服をまとって大やけどを負って助けを求める女の人。血ダルマの幼子をしっかりと抱きかかえ飛び出す母親の姿がありました。
その時の状況を被災者の救出活動に参加した人は「「たすけて-」と悲鳴をあげながら女の人がかけてくるんです。顔は火ぶくれでふだんの2倍ぐらいにはれあがり、髪は焼けちぢれ上着はボロボロ、わずかに下着がついている程度でした」と語っています。
3,自衛隊の救難ヘリコプターは
事件発生と同時に米軍から連絡を受けた自衛隊はすぐに救難ヘリコプターを厚木基地から緊急発進させ、事件発生の10分後には現地の上空に到着しました。
しかし、救難ヘリは大やけどを負つて救助を求めている被災者を助ける事なく、墜落前にパラシュートで脱出し、はとんど無傷で地上に降りた2人の米軍パイロットを乗せて厚木基地に帰ってしまい、再び飛んでくることはしませんでした。
4,「パパ ママ バイバイ」・裕一郎君と康弘ちゃんの死
火炎が広がり、黒煙がきのこ雲のように立ち上るなか、付近で仕事をしていた宅地造成工事現場の人達による必死の被災者救出活動が行われ、民間人の通報で救急車が到着2人の幼児を含む9人の重軽傷者が病院に運ばれました。
青葉台病院に収容された林裕一郎君(昭和49年8月24日生まれ・当時3歳)と、弟の康弘ちやん(昭和51年3月28日生まれ・当時1歳)は、全身大やけどを負い包帯でぐるぐる巻きにされ「水をちょうだい、ジュースジュース‥‥」と叫びましたが、容体が悪化するので水もジュースも飲ませてもらえませんでした。
そして、この日の深夜‥‥‥。
青葉台病院には2人の幼さな児と椎葉悦子さん、林早苗さんらの大やけどを負った被災者が収容され、夜になってもあわただしい時間が過ぎていきました。
午後10時過ぎに、裕一郎君は「痛い いたいよう‥‥」「水、みずをちょぅだい‥」の叫び声の合い間に黒いどろどろした物を吐くようになり、急速に弱々しくなっていきました。
「おばあちゃん、パパ ママ バイバイ‥」の声を残して裕一郎君が息を引き取ったのは、午前零時50分のことでした。弟の康弘ちゃんも嘔吐が始まり、父親の一久さんらの必死の励ましの中「ポッポッポ」と鳩ポッポの歌をかすかにうたいながら翌日、未明の4時30分幼い生命を閉じたのです。
5,二人の幼児の母親は
裕一郎君と康弘ちゃんの母親の和枝さん(当時26歳)も、全身8割にも及ぶやけどで昭和大学藤が丘病院に運ばれました。一方月以上も絶対安静の危篤状態が続きました。
ようやく死の淵から脱した和枝さんを待っていたのは硝酸銀の薬浴でした。全身やけどで皮膚が出来てこないので、化膿を防ぐための治療です。和枝さんの全身に激痛がはしり「殺して-」という悲鳴が病院中に響き渡りました。そしてさらに、その後も皮膚移植手術などの手術が繰り返されました。
「裕くんと康くんは他の病院で頑張って治療を受けている」という言葉を信じ、それを励ましとして厳しい治療を乗り越え少しずつ癒えてきた和枝さん。
その和枝さんに愛児の死を知らされたのは、事件から1年4カ月後のことでした。
その時、和枝さんは変わり果てた2人の愛児の遺骨に対面し、遺骨を抱き締めたまま涙がなくなるまで泣き続けました。
そして、泣いてもどうしょうもない残酷な事実を前にして、「子どもの分まで生きる‥」と、固い決意をしたのでした。
その後、きびしい治療にも必死で耐え抜いてとうとう、松葉つえを使って歩行することも出来るようになったのです。
和枝さんは皮膚の深くにまで及んだ火傷の治療のため、不自然な体位を余儀なくされ、ジェット燃料の火炎を吸い込んだことなどもあって、呼吸器障害などを併発し病院への入退院が繰り返されました。
しかし、一進一退の状態から徐々に体力も回復していきました。
そして、和枝さんは事件の経緯を振り返るにつけ、国の不誠実な態度に怒りを覚え、抗議の声も強くなっていきました。
国は、和枝さんからの度重なる治療についての訴えや抗議の電話をまともに受けないばかりか、和枝さんを精神病者扱いにし、家族にも適切な説明もしないまま、精神病患者だけを収容する国立武蔵療養所に転院を強要したのです。
6,和枝さんの死
国立武蔵療養所に転院して間もなく、1982年(昭和57年)1月24日の夜、和枝さんは窓には鉄格子がはめられた病院の一室で呼吸困難に陥り、意識不明のまま翌々日の26日午前1時45分窒息死したのです。
無念の死でした。
そして、それは、ジェット機墜落事件から4年4カ月目の事でした。
「わたしたちはわすれない米軍機墜落事件」より
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~t.a.arai/takashi/atugikiti/papamamabyebye.htm
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:09:08.03 ID:jQZJlmoi0
21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 22:12:35.05 ID:ghj3ui83
つっこみどころがありすぎてどこからつっこんでいいかわからん
7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:04:18.56 ID:hiCqsx1Z0
でもこんな悲劇的な裏側があったとは知らなかった
6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:04:08.89 ID:NkECJIqA0
15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:11:02.51 ID:acYO0Wv20
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:12:10.52 ID:PI4gr9tGO
20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 22:06:50.74 ID:4hf83o0
あれ、タイトルにはおばあちゃんの名前が…
14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:10:11.90 ID:P+PlPr+30
www.aruaruvideo.com/images02/G94333.jpg
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12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:09:10.54 ID:PUarRhwv0
13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:09:28.48 ID:igLwGRvK0
なにこのギャップ
19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:12:25.04 ID:Eq+LQGPu0
9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 21:06:52.77 ID:i2Q83g7R0
でも大人の私ですら見るの恐い
なんだろうな、御巣鷹山とか広島長崎の原爆とかと同じ感覚だわ
返信削除被害者数には因らんのだな
このスレ自体、オスプレイの配備反対の広報戦略だと思うがなー
返信削除沖縄県民としたら落ちたときの補償がはっきりしてるならどうぞウェルカムだけど
沖国大にヘリが落ちたときも、学校にジェットが落ちたときも
補償をどうするかでもめたし信用できないわー
けど、現実に進んでるしどうにもならんだろう
そりゃ個人の気持ちはわかるけど
返信削除国防に手を抜けば日本自体がなくなる
国民を蔑ろにする『国防』ってなに?
削除そもそも両立不能って考えてること自体が俺には理解できない
米軍に殺され、国に見放され、救いなく失意の淵へ追いやられ、最期には存在すら忘れられ
削除これほどの理不尽な状態にある個人の尊厳も守れんようでは国家として終了だな
日本だけじゃ守れないから仕方ない
返信削除オスプレイが墜落して何人か死のうが悪いが誤差なんだよ
返信削除どんな兵器にもそれこそ自動車と同じように定期的に事故は起きるだろ
車で毎年1万人が死ぬのに何でオスプレイは一人も死んじゃいけないんだ?
米軍の戦力があるから防衛費を節約して福祉とかに回してきたんだぞ。 もし米軍に頼らないで日本を日本人だけで守るなら国連軍にも兵力を出さなきゃいけないし、金だけじゃなくて実際に死人が出る
お前の言ってることは全員で幸せになりたいってタダの妄想だ
国民を守るための国防であってください。
返信削除米軍の是非の前にそれを忘れないで……
なんで話題が国防の是非になってるの?
返信削除国防なんて手を抜けるものではないんだから、問題はそこではなく事故の削減とその補償だろう
全体を守ろうとすれば一部に犠牲が出るのは仕方のない話。
結局現代資本主義社会は功利主義でしか回らない。
そういった反対意見を押し込めて強行した結果の例が原発事故なんですけどね
削除オスプレイじゃなきゃダメな理由って何?
その一部の犠牲が自分になるかもしれないのに賛成できる自信ってどこからくるんだよ